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リオデジャネイロ・ライジング・3

 一章 雷雲・3

 ジューダスは、懐から白い封筒を取り出し、私に向かって差し出した。
「これが、老人からエレーナ・ムラカミにあてた手紙です」
「確かに」
 と私は受け取った封筒を一回顔の前にかざしてから、カバンにしまい、
「花束の方は、何でもいいのか?」
「いいですよ。お任せします。そんなものは、ただの口実に過ぎないんですから……」
「ジューダスは、エレーナ・ムラカミに会ったこと、あるのか?」
 と私は、自分が人生で芸能人(しかも外タレ)に会うことがあろうとは思いもよらなんだ、と思いつつきいてみた。できれば実際にお目にかかる前に、少しでもエレーナ嬢の情報が欲しいのである。
「ありますよ。老人の誕生会に彼女が来たことがありまして、そのときにちょっと、ね。……すこぶる歌がうまいそこそこの美人であるというだけの、ごく平凡な女性という風に見えましたけどね、私には……」
「……歌がすこぶるうまいそこそこの美人、というだけで、その人、平凡じゃねぇだろ」
 と私が一般的観点から、そう指摘すると、ジューダスは不満そうな顔をし、
「またまた、あなたは、すぐそうやっていい人ぶろうとするんだから。ずるいなぁ」
「……お前に比べりゃ、私だって充分いい人だよ」
「エレーナ・ムラカミは、私に言わせると充分平凡な女性ですよ。歌、という多分に趣味的な意味合いの強い技術をもって職業と為し、その道で成功して有名人になるという状況に、つじつまの合わないほどの価値観を感じているんですから……」
「文化事業だよ、歌ってのは。……芸術家って、そういうもんだろう。私らみたく、『善とは何であるか』とか言い出す方が、たち悪いんだよ」
 半ばはフォローのつもりで、そんなことを言ってみる。
 すると、ジューダスはオーバーに両目を見開いてみせ、
「まさか、本気でおっしゃってるわけじゃないでしょう? 我々みたいなのがいなければ、人類社会なんて、くだらぬものに限って他を制し、つまらぬものに限ってもてはやされ、偽善と強欲がはびこる魔窟と化してしまいますよ」
「世の中が平和な証拠だろ、そんなの。実力のあるやつが実力通りの仕事で出世しなきゃ社会が保てない状態になれば、面白いやつが他を制すし、偽善など存在する余裕もなくなるってもんだ。……いいから、エレーナの悪口はやめてくれ。私、これから、会わなきゃいけないんだから……」
 つい苦笑を漏らしつつ、目の端で灰皿があるのを確認しながら、タバコをくわえて火をつける。……これは俗にいう、吸わなきゃやってられない方の話だ、と思いながら。ジューダスは、ちょっと肩をすくめて、
「別に悪口じゃないですよ。平凡、は悪口じゃないはずですけど。……言われた方が喜ぶ評価かどうかは、さておいて。
 しかし、まあ、私に言わせれば、やはり彼女の人柄は、『平凡』と評するのがいいように思います。仕事で成功して有名人になったはいいが、一方で、その重圧に耐えかねて、宗教に心の平穏を得ようとしているのですから……」
「え、エレーナって、……そうだったの?」
 そのことを全然知らなかった私はギョッとして、ジューダスをまじまじと見た。有名芸能人が、とある宗教団体の熱烈な信者……などという話は、私もいくらか聞いたことがあるが……。
 ジューダスは面白くもなさそうな顔つきで、
「まだ、あまり知られてはいない話ですよ。……まあ、それこそ、珍しくもないような話、でもありますし。
 エレーナ・ムラカミは、母国ブラジルに拠点を持つ『ペッロラ・カステーロ』なる宗教団体の熱烈な信者なのだそうです。今度、マナウスのオペラハウスで公演するのも、同宗教団体によるキモイリで、収益の一部は寄付金として当該団体におさめられることになるようです」
 と説明する。
「……まあ、有名人なる人々も気苦労が多いんだろうな、たぶん……」
 そりゃ厄介だな、というセリフを辛うじて呑み込み、私は半ば自分に言いきかせるように、そうつぶやいた。別に何を信じようが他人の勝手であることは言うまでもないのだが、しかし、『神』の背後に生きる人々の地雷が、私には予測がつきにくい。会って話すことに対して、にわかに不安が大きくなった。
(何気なしに漏らした言葉で、相手にキレられたら困る……)
 と思ったのは、『例の老人』が寝入り際につぶやいたことが気にかかっていたからである。
 老人は、エレーナ・ムラカミと会うことが、私にとって役に立つだろうと言った。
 それは、もしかすると、ハオランさんから託された殺人事件のことで、エレーナが何か知っている、ということを意味するのではないか。
 だとすると、無論、彼女からできるだけ多くの情報を引き出したいところだが……。
「……ひょっとして、その宗教団体……『ペッロラ・カステーロ』だっけ、それがハオランさんのホテルのスタッフさんが殺された事件に関係してるのか?」
 私は、ジューダス(及び『例の老人』)が、既に何か詳しい情報をつかんでいるのかもしれない、と勘繰り、一応聞いてみたのであるが、
「それを調べるのが、あなたの役目でしょう?」
 とジューダスは苦笑いし、苦笑いを引っ込めると、
「まあ、しかし私もそれほど不親切な人間ではないつもりです。もし何かわかったのなら、ハオランにもちゃんと教えてあげますよ」
 と存外真面目な口調で付け加える。
 私は特にそれを信じもしなかったのだが、しかし、要するにこいつらは何か知っていても、ここでそれを漏らすつもりはないのであろう、と見切りをつけ、後は諸々の事務的な話をしてから、辞去する運びとなった。
「凪さん、……とうとう『神』と戦うことになるかもしれませんね」
 エレベーターホールまで見送りに来たジューダスは、ボタンを押して箱を呼びつつ、にやりと笑いながらそんなことを言う。
 ここで言う『神』とは、『ペッロラ・カステーロ』のことであろうが、
(……この野郎、やっぱり、何か知ってるな)
 と確信を持ち、私は、じろりとジューダスをにらんだ。ジューダスは、相変わらずニヤニヤしつつ、
「楽しみですねぇ」
 などと言う。
 私は、全力で顔をしかめた。
「バカぁ言え、……『神』ったって、そんなもん、バッタ中のバッタだろうが」
 別に私は当該宗教を否定するつもりもないのだが、……しかし戦うとなると話は別である。もし本当に戦う破目になるのならば、相手が本物の神様じゃたまらない。ついでに、
「……やっぱり敵くさいのか?」
 と念押し風に問うてみたが、
「どうですかねぇ?」
 とジューダスは、ぬけぬけとしらばっくれてみせてから、くすくすと笑い、
「まあ、でも、あなたが相手に向かって『そんなもん、バッタ中のバッタだろうが』って言ったが最後、向こうからは敵として認識されるでしょうね」
 と指摘する。
「……私もさすがに、そこまで命知らずの発言はしねぇよ」
 と肩をすぼめてみせたが、ジューダスは、あまり信じない顔をした。
「本当ですか? まあ、気をつけて下さいよ、あなた、怒りっぽいんですから……」
「……お前らに対してほど、他に怒ることも、あんまりないけどね?」
「それだったら、いいですけど。でも、本当に気をつけて下さいよ。私の世話する老人が、あなたの報告を楽しみにしてるんですから。死闘の果てに儚くなったりしないよう、がんばって生きて帰ってきてください」
「……そう思うなら、そもそも人を死地に追い込むなっつーの!」
 やっと来たエレベーターに乗り込み、閉ボタンを押しつつ、私はそうツッコんだ。
 ……殺人事件の捜査に死闘が必要なのは、ハリウッド映画だけの話だと思っていた。
 私はエレベーターの中で、さらに大きく膨らんだ不安と戦わねばならなかった。

「まあ、でも、やっぱり単なる殺人事件の捜査では、済まんのちゃいますか。そうでなかったら、わざわざ姐さんに頼まんでしょう」
 以前も訪れたことのある上海のとある家屋(ユンたちの隠れ家のひとつであるらしい)で合流したショージは、今日私が引き受けた仕事の話を聞き終わると、そんな感想を漏らした。
 私は嫌な顔をして、
「……そうでない仕事なら、ますます私に頼んじゃだめだろう。私を何だと思ってるんだ。戦闘系探偵か」
「戦闘系探偵って、何です?」
「知らないよっ。……あのね、単なる殺人事件の捜査だって、充分大変なんだよ? 警察の人たちだって、毎回、大苦労しながら犯人探してる……と思うよ?」
「……たまに、犯人、見つからんこともあるようですしな。いわゆる迷宮入り……」
「縁起でもないこと言わないでよ! 私、今から犯人探しに行くんだから!」
 テーブルの上に散らかされたごみ(話しながら皆で夕食をとっていたのである)を手早く片付けつつ、私はショージに向かってそうわめいた。
 そうは言うものの、私にだって、わかってはいるのだ。
 無論、ショージの言う通り。
 ハオランさんは当然バカではないし、そうである以上、私に何ができて何ができないか、ということくらい察しはつくはずだ。その彼が私に仕事を依頼してきたのは、私の向こうにいるユンたちを見据えてのことで、言ってみれば『私』は、おそらくただの手順に過ぎないのである。
 さらにそこに、『例の老人』という、気に入った人間を軽く死にかけるような騒動に巻き込むのが趣味、であるような人物がしゃしゃり出てきた。
 ここから察せられる答えは、
(おそらく、今、リオデジャネイロで、世間の気づかぬうちに、何らかの騒動の種がまかれ、発芽しかけているに違いない……)
 であって、ハオランさんはともかく、『例の老人』とジューダスは、その芽が健やかに育まれ、どでかい実をつけるよう、せっせと肥料でも与えようとしているに違いない。
 要するに、大騒動の予感……。
「ところで……、姐さんの話を聞いて、ちょっと思い出したことがあるんですが……。ほら、シオウさん、日本でちょっと話したでしょう、例の『C.O.B.』……」
 とショージは、いったんシオウの方に顔を向け、改めて私の方を向くと、
「姐さんはご存知ないでしょうが、俺らの業界に『Children of Brazil』いう集団がおりまして、世界中から食い詰め傭兵かき集めて、適当な戦地に放り込む……要するに人材派遣会社みたいなことをやっとる団体で、どちらかというと評判の悪い連中なんですが、噂によると最近バックに新興宗教団体がついた、とか……」
「『Children of Brazil』なら、俺も知ってる」
 とユンが、うなずいて横から話を引き取り、
「そういえば、いたな、そんなのが……。つまり、ショージが言いたいのは、そのバックにいる新興宗教団体というのが、凪が『例の老人』の頼みで花束を渡しに行くエレーナ・ムラカミが信仰しているらしい『ペッロラ・カステーロ』じゃないか、と?」
「いや、まあ、ふっと思いついただけの話なんですが。それに、それじゃ、あんまりタイミングが良すぎますし……」
 というショージのセリフは、私にもユンにもちょっと意味のわかりにくいものであったのだが、
「ああ、そういえば二人には、まだ話してなかったな」
 とシオウが、そのことに気づき、ショージが先日の仕事先で会った『C.O.B.』なる団体所属の『カワタ』という人の話をしてくれた。シオウとショージの推測によると、その『C.O.B.』こそ、今話題の(?)『Children of Brazil』の改名した姿なのではないか、というのである。
「『C.O.B.』……か。まあ、それが『Children of Brazil』の改名した姿かどうかくらいは、調べれば簡単にわかるだろう」
 とシオウの話に、ユンは、そううなずき、
「しかし、もし本当にそうなら、ショージの言う通り、タイミングが良すぎるようだな。どうやら、俺たち、よほど縁でもあるらしい……」
「……『C.O.B.』と?」
 楽し気な口調のユンに反して、私はうんざりした声を出した。……大騒動の予感が、また一歩現実に近づいた、ように感じられて。
 一方ショージは、
「やれやれ、昨日の味方は今日の敵、とは、よく言うたもんですわ。……下手すりゃ連中相手にお祭り騒ぎですな」
 と、むしろそれを期待するような口ぶりである。私は一瞬頭を抱えたくなったが、しかし、己の『仕事を引き受けたのは私』という責任感を総動員して、
「ショージ、私の仕事を手伝ってくれることには、大変感謝してるんだけど、でも、その仕事は、あくまで!『私の仕事』です。……いい? できるだけ平和的解決重視で、非暴力、平穏無事、という言葉を常に念頭に置いて、お願いします」
 と申し渡した。
 が。
「……まあ、それは、相手の出方次第、という話で」
 とショージは小さく首をすくめたのみだった。……まあ、そう言われてしまうと返す言葉もないのだけど。
 ともあれ、話しこんでいるうちに時刻は深夜に近い時間帯に達していた。
 私は時計を見て、そのことに気づき、
「私、もう寝ないと。明日は、皆、どうするの?」
 と問うた。このとき、私は、いったん日本に帰国して旅のための荷物を整えてから、改めてブラジルに向かうつもりだったのだが、……残念ながら、ユンは、そんなつもりではなかった。
「何を言ってるんだ、凪。どうするもこうするも。凪は明朝の便で俺と一緒にブラジルへ発つ。シオウとショージは、別のルートからブラジルへ向かってくれ……」
 とユンがテキパキと指示し、
「えぇっ」
 と驚きの声をあげたのは、私一人。
「それが、いいだろうな」
「了解です」
 とシオウとショージは軽くうなずいて答えている。……ええい、相変わらず身軽なやつらめ。
 ……などと怒りながら感心している場合ではない。
「ちょっと待って……」
 私は、あわてて抗議しようとしたが、ユンが先んじて、
「旅の仕度がある、て言うんだろ? 凪、もういい加減、慣れたらどうだ。一体、外国へ行くのに、何をそんなに仕度することがあるんだ? リオデジャネイロにも人は大勢住んでいるんだ。それは、つまり、生きるのに必要なものは、全てそこにあるということだ」
 要するに、現地調達せよ、ということである。無論それは、そうだ。ユンの言わんとしていることが、わからないわけではない。
 が。
「だけどさ、私には、私の積み立ててきた生活、というものが、あるんだよ? 例えば化粧品だってさ、どれでもいいわけじゃないんだよ? そりゃブラジルにだって、いい化粧品はたくさんあるんだろうけど、どれが自分の肌に合うかなんて使ってみないとわからないんだからね? だいたいさ、海外って服のサイズの表示が違うじゃん? そりゃ目分量と試着で何とかなるんだろうけどさ、せっかく日本の自分の家に着られる服があるのに、わざわざ外国で大苦労して必要な衣類を整える必要、なくない? 必要な衣類を整えるのは、おしゃれショッピングとは全然違うんだよ? ていうか、肝心なのはね、外国という慣れない土地へ行く心細さを、普段使い慣れているものを持って行くことで補いたいの!」
 一応言うだけは言っておかないと気が済まない、と思い、無駄であろうことはわかっていたが、私は私の事情と都合を、なるべく詳しく説明した。
 ユンは私の長広舌を、あきれたような顔つきで聞いていたが、
「……そうか。なんとなく、わかった」
「……なんとなく、なの?」
「でも、明朝の便で発つから、今日はもう寝なさい。つまらないことを考えてないで」
「…………」
 やはり、無駄であった。
 私は、ダメ元でシオウに顔を向けた。
「……そんな悲しそうな顔で俺を見るな。わかってる。凪は、女性だからな。俺たちと違う準備や仕度が必要なのであろうことは、よくわかっている。……けど、まあ、こういうことは早くした方がいいから……」
 シオウは、そんなことを口走りつつ、そそくさと何処へともなく逃げていった。
 やはり、ダメであった。

 とりあえず、どうにもこうにも明朝ブラジルへ発つということが決まってしまった以上、いつまでもグズグズ考えていても仕方がない。
 仕方がないから手早く寝支度を整えて寝てしまった方がいいと思い、そうしようとしていたら、寝る間際になって思わぬ人物から電話がかかってきた。
 ネイサンである。
 ネイサンとはバルセロナで会ったときに電話番号の交換をしていたのだが、実際に電話をかけてきたのは初めてのことだったので、ちょっと驚いた。
『ブラジルへ行くそうだな』
 とネイサンが、そのことを知っていたので、ますます驚いた。
「だ、誰からそれを聞いたんです?」
『シンだ』
 というのが、ネイサンの答え。
 シンというのは私の教師時代の教え子で、色々あって、今はショージ預かりの身になっている。
(……あいつ、チクったな)
 私はシンの顔を思い浮かべ、舌打ちでもしたい気分になった。ネイサンの説明によると、シンは、しばしばネイサンに電話しては色々情報交換などしているそうだ。……人の知らない隙に。
 それはそれとして、ネイサンは、
『おそらく大丈夫だろうとは思うが、でも、充分に気をつけなさい。ユンから聞いていると思うが、ブラジルには、私の不倶戴天の仇敵がいる』
 と、やはりそのことが心配で電話してきたものらしい。
「ええ、知ってます。ジュンギっていう人のことでしょう?」
(どうして、そこまで関係性こじらしちゃったんですか)というセリフは、辛うじて呑み込んだ。
『まあ、我々も暇人ではないからな。自分の仕事に直接関係もないのに、あちらからちょっかいを出してくるようなことも、まずはなかろうが……。……が、もし、万が一、ジュンギのやつが君の前に姿を現すようなことがあったら……』
「……あったら?」
『いいか、そのときは、世界最高峰のサッカー・リーグは、リーガ・エスパニョーラだと言い張って、一歩たりとも退くな!』
「…………」
 私は……(あんたたちも、たいがい暇人ですよ)というセリフは辛うじて呑み込み、
「……努力は、してみます」
 と適当に返事をしておくことにした。
 その夜、私は、なかなか寝つくことが、できなかった。
(どいつもこいつも勝手ばっかり言いやがって)
 ということに、腹が立って。
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