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リオデジャネイロ・ライジング・6

 二章 歌姫とサイレンス・3
 
 シオウは、「お前がちゃんと前方を見ていなかったから悪い」というタクシードライバーの言い分をカワタに、カワタの「急に割り込んできたお前が悪い」という言い分をタクシードライバーに伝えながら、カワタに観察の目を光らせた。
 平服姿のせいか、一見して傭兵とは、わからない。さすがにいい体をしているが、どちらかというとスポーツマンといった風情の男である。
(いい兵士なんだろうが、議論は強くないな)
 と二人の言葉を忙しく訳しながら、シオウは腹の内で考えた。というのも、相手の非をまくしたてるタクシードライバーを前に、カワタは終始押され気味で、困惑したように視線をさ迷わせる他、為す術もない、といった様子だったからである。
 話し合いはタクシードライバーの通報を受けたパトカーが到着したところで、シオウの出る幕はなくなった。
 それを潮にシオウとショージは乗車賃をタクシードライバーに支払って、その場を離れようとしたのだが、カワタがそれを呼び止め、
「ちょい待ち! ショージ、これ、俺の連絡先……」
 とショージに自分の名刺を押しつける。
「時間があったら、かけてみてくれ。飯でも酒でも案内するから……」
 と早口で言った後、シオウに向かって、
「どうも……すっかりお世話になりまして……」
 と軽く頭を下げると、慌ただしく行ってしまった。お巡りさんに呼ばれているのである。
「愛想のええやつやな」
 カワタの背中を見送りつつ、ショージは、そう苦笑いし、
「……どう思います?」
 と渡された名刺を見せつつ、シオウに尋ねた。
「……少なくとも、新興宗教団体の狂信者、という感じは、全然なかったな」
 シオウは名刺の肩書(『Soldier Of Freelance』と表現されており、『a mercenary』という単語が小さく注意書きのような形で添えられている)と電話番号を眺めてからそう答えた。
(うまく事を運べば、『C.O.B.』の情報が手に入るかもしれないな)
 という考えに、しかしシオウは、あまり期待はできないと思った。
 カワタの語学力からみると、彼はおそらく同団体の新入りで、その内情に深く食い込んでいるとは考えづらかったからである。

     *

 こそこそ逃げ回るより、いっそ敵地に乗り込む、という戦法(?)は、とてもユンらしいと思う。
 今回、残念ながら、ユンが、そもそもの『敵地』の正確な場所を知らなかったので、私たちは、いったん『サンパウロ』で足止めとなった。
 空港内のベンチに座り、電話をかけたり、かかってきた電話に出たりしているユンを遠巻きに見つつ、
「ユンさんてさ、……基本無茶苦茶な人だよね」
 とシンが小さく首をすくめる。
「だってさ、今から人と会ってたら、エレーナ・ムラカミのコンサート、間に合わなくない?……さらに、そもそも、こっちのことを敵だと思っている人が、そうすんなり会ってくれるもんかなぁ?」
「……最悪、コンサートはスルーしてもいい。公演後に花束を渡せたら、用は済むんだから」
 その花束は、マナウスに着いてから用意することになっている。そっちの方にも時間を食うことは間違いないので、確かにシンの言う通り、急いだ方がいいことは、いいのだ。
 だが。
「でも、私も、できればジュンギとやらいう人に、会えるんだったら会っておきたいんだよ。ひょっとすると、チョウ・ジルイ殺人事件のことで、何か知ってるかもしれないし」
 事件に、警察には嗅ぎ当てられないだろう裏がある、というハオランさんのカンが、もし当たっているのであれば、『組織』の人であり、なおかつサンパウロを拠点に活動しているというジュンギにあたってみる価値は、大いにあると思う。
「でも、仮に何か知ってたとしても、だよ? 対立しているネイサンの仲間に、それを言ってくれるかなぁ?」
 とシンが首を傾げる。その点は私も不安だったので、
「いっそ……口先だけ『リーガ・エスパニョーラ最強説』を捨てて、相手のお説に全面降伏してみたら、どうだろう?」
  と案をひねり出してみた。
 そうなるとネイサンを裏切ることになるが、何というか、これは世界でも最も胸の痛まない裏切りのひとつである、と私は思う。ちなみに私の本音は、世界最強が同列何か国あってもいいじゃないか、という永世中立思想である。
「そんなことで、機嫌取られてくれる?」
 と、シンがまた首を傾げる。私は内心で、そんなことで、もし機嫌が取れたら、それはそれで問題があるんじゃないかと思いつつも、
「まあ、いざとなったらイチかバチかやってみるしかないな」
 と、ぼやく口調でつぶやいた。……我ながら、はなはだ頼りない話をしている、と思う。
「話は、ついたぞ」
 電話を終えたらしいユンが、こちらに歩み寄ってきてそう言った。言いながら腕時計に目をやり、
「搭乗時間まで、まだ間があるな。コーヒーでも飲むか?」
 と、近くにあるカフェスタンドに目をやったのは、おそらく話し過ぎて喉が渇いたのであろう。
「あ、じゃあ、僕、買ってきます」
 とシンが立ち上がると、ユンはシンの座っていた席に腰をおろしつつ、
「会ってくれるって。ただ、今日、今すぐ、じゃ都合が悪いから、後日にしてくれって。……だから、先にマナウスの用事を終わらせよう」
「ああ、そう、よかった……」
 と私は、うなずきはしたが、内心、会うことに決まってしまったことに対して緊張を感じずにはいられず、手放しで喜ぶことはできなかった。果たして、サッカーの話で相手のお説に全面賛同してみせるという薄いお世辞……下手をすれば、お世辞にも満たない相槌になってしまいそうな手段で、何かがどうなるものなのか、どうか。
 もっともユンは、
「まあ、ともかくも、こっちから先にあいさつしておけば、向こうも悪い気はしないだろう。……俺は凪の仕事についてきているだけ、だし」
 と相手の協力に関しては、はなから何の期待もしていない様子である。
 そこへコーヒーを三つ、器用な手つきでつかんだシンが戻ってきた。私がシンに、先にマナウスへ行き、帰ってからジュンギに会うことになった旨を告げる前に、ユンが、
「シン、ここからは別行動をとろう」
 と言ったので、驚いた。
 シンの方は、内心はともかく、表面は冷静な様子でコーヒーの入っている紙コップを渡してくれながら、
「はあ、それは、かまいませんけど……?」
 と問う視線をユンに送る。
「俺は、凪をつれてマナウスに行く。たぶん、明日の午前中には、ここに戻ってくるはずだ。お前はサンパウロに残って、特に空港周りを重点的に警戒しておいてくれ」
「ちょっと待った、それって、……向こうが何か仕かけてくる可能性があるってこと?」
 と、ユンの指示に、シンではなく私が、そう眉をひそめると、
「絶対にない、は、ない」
 が、ユンの答え。
「可能性が高いとは思わないが、用心するに越したことはない。俺はジュンギに顔を知られているが、シンは、まだ知られていないはずだから……」
「わかりました」
 と、シンは、はりきる気持ちを懸命に抑えようとしているのが透けて見えるような顔と声で、うなずいた。
 私は、喉元まで出かかっていた反対の言葉を、辛うじて呑み込んだ。


「不満か?」
 シンを一人サンパウロに残し、二人で乗り込んだ飛行機の中、ユンは小さく笑いながら、そうきいてきた。
「……別に」
 私はユンを不満の目でちょっとにらみ、下唇を突き出してみせるに止めたが、内心は大いに不満であった。
 わかっては、いるのだ。
「シンならやれると確信したから、任せたんだ。できないと思ったら、させない。それに……シンは、経験を積むべきだ。これは、そのいい機会だと思う」
 などというユンの説明は、聞くまでもないほど、よくわかっている。
 でも。
(シンは、まだ未成年じゃないか……)
 私は不満の中身を内心だけでつぶやいた。
 もちろん、シンはユンに指示されたことをちゃんとやってのけるに決まっている。私なんかより、苦労している分、しっかりしているところもあるだろう。
 だけど、シンは私の生徒だったのだ。私が教師をやめた今も、そのことは変わらない、と思う。
 要するに、特にこれといった要素もなく、シンのことが、いちいち心配なのである。これは、理屈じゃないのだ。
 ……というような私の感情は、おそらくユンにもシオウにも、当のシンにもわかってもらえないものなのだろうと思う。
 ユンは私の不満顔を見て、あきれ顔を作った。
「……シンの成長も成長だが、その前に、凪を生徒離れさせないといけないな」
 などと言うので、私は断固として拒否した。
「嫌だ!」
「……お前ってやつは……」
 ともあれ、飛行機は無事マナウスに着いた。
 私たちは、まずタクシーに乗り、運転手の知る花屋へつれて行ってもらった。
 巨大な熱帯雨林であるアマゾンの入り口として有名なマナウスは、しかし、想像と違って『都市』と呼びたくなるようなにぎやかな街であった。
「立派な街だなぁ」
 車窓から外の景色を眺めつつ、私は、ついあきれた声を出した。お城のような立派なホテルの前を通り過ぎる。ヨーロッパのお城のようなホテル。
 私は、ふと、かつてこの場所はアマゾンから続くジャングルであったのかもしれないことを思い、その後ここを訪れた人々のことを思い、いまここに住んでいる人々のことを思った。
 アメリカ大陸という、数奇な運命にさらされた巨大な島のことを。
「アマゾンへは、この港から出る船に乗って行くんだ」
 とユンが教えてくれた。

     *

 ユンが花束を抱えた凪をつれて『アマゾナス劇場』の観客席に姿を現したとき、サイレンスはすぐに座席の背もたれの陰に身を沈め、二人の視界から自分の姿を隠した。
(見つからなかった……かな?)
 その自信はあったが、凪はともかくユンは目敏いので油断はできない。
 サイレンスは念のため、コンサートが始まるまで、そのまま身を沈めて隠れておくことにした。
 コンサートの主役は、言うまでもなくエレーナ・ムラカミである。
 そして、また言うまでもなく、サイレンスはジューダスの指示で、この日このとき『アマゾナス劇場』を訪れたのであるが、
(……ところで、エレーナ・ムラカミって、誰……?)
 と、いまさらながらに首を傾げた。サイレンスは、あまり音楽を聴かない。嫌いなわけではないのだが、特に必要性を感じないし、結局静かなのが一番いいような気がするからなのだが、ともあれ、
(まあ、コンサートを開くからには、歌手である、と思って、まず間違いはなさそうだな)
 と推測し、次いで、
(お客さんが大勢来てるってことは、人気のある人なんだろうな)
 と、空席のない場内の様子から、そう考えてみたのだが、ジューダスによれば、
「客の中には少なからず彼女の宗教仲間も混じっていると思うよ」
 ……であるらしい。
 何はともあれ、サイレンスは、前面に『歌姫ってどの国にも二~三人はいるよね』、背面に『歌王子がいないのは、ゴロが悪いからだと思う』という文言がプリントされたティーシャツを着てきたのは、
(正しい判断だった……)
 と己のチョイスを肯定した。
 サイレンスが己のチョイスを肯定したところで、ふいに場内が暗転した。
 コンサートが始まったのである。
 舞台の上に一人の女性が現れ、観客たちが拍手や歓声を送り始めたので、サイレンスもちゃんと座り直して形ばかり拍手しながら、ユンと凪の姿が近くにないか、もう一度だけざっと周囲を見まわして確認した。
 どうやら、二人はサイレンスとは離れた席に座っているらしい。
 何せ、舞台はひどく明るいが、客席は暗い。しかも座席から姿勢を崩さずに離れた席に座る二人の人間を目視するということは、まず不可能である。
(……やっぱ、二人に見つからないためには、コンサートが完全に終わる前に、ここから出て行くしかないか……)
 と判断し、サイレンスは、ちょっと残念に思った。というのも、サイレンスはコンサートなるものに来るのは生まれて初めての経験だったので、最後までちゃんと見ておきたい気持ちも、なくはなかったから。
 しかし、今のサイレンスの任務は、『凪たちに知られず、凪たちを尾行する』である。
「ブラジルには、凪たちの因縁の敵がいる。おそらくユンたちですら、そのことは知らないはずだ」
 と事前にジューダスから説明されている。
「よもや、そう簡単にやられてしまうこともあるまいが、隙を突かれて、ふいでも打たれれば、万が一ということもある。そのときは、助太刀してやってくれ」
 とも。
(……だったら、凪に一言注意してあげればいいのに)
 と、あの時も思い、今も思うが、どうやらジューダス(と彼の世話する老人)は、どうしても『凪が地球の裏側で思いもよらぬ再会にびっくり』という状況を楽しみたいらしい。
(凪も、気の毒に……)
 とサイレンスはちょっと両肩をすぼめたが、……しかし、まあ、いちいち馬鹿正直にイラついたり激怒したりする凪も凪だとも思った。
 ちなみにジューダスからは、
「凪は、ひょっとしたら売られたケンカを買いに行くかもしれない。……まあ、買ったはいいが、どうなるものでもないと思うし、ユンたちにとっても完全なるアウェー戦だからね。サイレンス、だから君は、状況を見ながら彼らの援軍になってあげなさい」
 とも指示されている。
 ……まあ援軍も何も、サイレンスは一人なのだが、ともあれ、
(凪が、『僕』をどう使いこなすか……)
 については、ちょっと楽しみである。
 凪は基本的に『非戦闘員』であるが、サイレンスという『戦闘力』に指示を与えることによって、『戦闘員』となりうる。その辺の仕組みは、ジューダスも同じことである。
 サイレンスは、そういういわば『頭脳』と『肉体』が極端に分離している状態を、悪くない、と思っている。
 自分の敵を自分で探すのは面倒だし、第一、サイレンスには、それを探し当てる自信がない。
(その点、凪にせよ、ジューダスにせよ、うまい具合に敵を見つけてくる……)
 という点については、いつも感心してしまう。
 どっちが上とか下とかいう話ではない、とサイレンスは思っている。
(どっちもが、相手をちゃんと必要としている)
 重要なのは、そこなのだ。
 サイレンスは、基本的に一人ぼっちで動くのが好きだ。集団行動は性に合わない、と思っている。
 一方で、というべきか、だから、というべきかはわからないが、でも、
(例えば僕は、いま、ジューダスの指示でここにいる。それは、つまり、ジューダスと一緒にいるのと同じことだ)
 という風にも思え、
(一人なんだけど、完璧に一人、てわけじゃない……)
 その感じもまた悪くない、とサイレンスは思う。
 敵を選び、戦いの中で自分の分身と化した『戦闘員』に何をさせ、何をさせないのか。状況をどう判断し、どう動き、どう動かないのか。
 それらを考えることを含めて、『戦闘』である、とサイレンスは考えている。
(凪は、いまのところ全くの未知数だな)
 エレーナ・ムラカミの歌う舞台を上の空に眺めつつ、サイレンスは一人首をすくめた。……正直なところ、あまり期待できそうな感じはしない。
 もっとも、この点に関しては、ジューダスが笑いながら、
「凪の指示を補いながら『自分の判断をまじえつつ』戦うことは、君にとってもいい経験になるだろう」
 などと言っていたので、これは、むしろ修行と思った方がいいのかもしれない。
(……そろそろ行かなきゃ)
 舞台の上からエレーナ・ムラカミの姿が消え、観客たちが「アンコール」を口々に唱えだしたので、サイレンスは座っていた席から腰を上げた。
 ユンと凪は、この後、エレーナ・ムラカミの控え室を訪れて、花束と『例の老人』から彼女にあてた手紙を渡すことになっている……はずである。
『例の老人』特権により、サイレンスは、いま、アマゾナス劇場の『関係者以外立ち入り禁止』ゾーンに入れる御身分となっている。
(先回りして、どこかに隠れておこうかな)
 そんなことを考えつつ、会場の外に出、出た瞬間に思い切り両腕を上方につき上げた。
 ずっと動かずに舞台を見つめていたので、そうすると気持ちがよかった。
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