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リオデジャネイロ・ライジング・17

 六章 リオデジャネイロの怪人・2

 ミカは、ブランコと同じく、ラーラの『神秘の力』など信じていない。
(愚かな女だ……)
 とブランコがミカのことを思うのは、例えミカの思惑通りに事が運んで、『ペッロラ・カステーロ』が事件の首謀者であるという濡れ衣を着せられたとしても、確かに無傷では済むまいが、かといって教団を潰させない自信があるからである。
 ブランコのもう一人の女王であるエレーナ・ムラカミは、ブランコに言わせれば、
(もはやラーラ無しには生きていけないだろう……)
 と思われるほど、教団に溺れきっている。
 ブランコ自身に関していえば、ミカが、特に自分を憎んでいるらしいことを知ってはいるが、でも、ミカという女が嫌いではない、と思っている。
(ミカは、エレーナが『現実』をひたすら生きることがエレーナの『幸せ』なのだと思いこんでいるようだが……)
 それはブランコに言わせれば、(愚かな思いこみ……)であるものの、その愚かな思いこみが、『母性』からくる『愛情』であることは、疑いないからだ。
(しかし、エレーナは、ミカの思う『現実の世界』を生きることで幸せになれるタイプの人間ではないのだ。彼女は、幻の神の国でしか幸せに生きられない……)
 逆に言えば、いま、エレーナが『神』を失えば、自我の崩壊といった事態を引き起こしかねないと思う。
 エレーナだけではない。『ペッロラ・カステーロ』の熱心な信者たちは、皆同じだ。彼、もしくは彼女たちは、いま、ブランコがラーラを利用して作り上げた幻の中で、幸福に暮らしているのである。
 ブランコは別に、信者たち、という存在に特別な愛情を感じているわけではないのだが、それでも今さら彼及び彼女たちを『幸福な居場所』から追い出すのは、しのびない、という程度の同情心なら持ち合わせている。
 おそらく、ミカのようなタイプの人間には、そのことは一生理解できないだろう。
(それにしても、ラーラ……)
 ブランコは、ラーラとセロ王子が今、部屋に二人きりでいることを考え、小さく身震いした。
 セロ王子の気前の良さ、が、単なる『オゴリ』ではないことなど、無論のこと、ブランコは知っている。自分が利用されていることなど百も承知だし、こちらも相手を大いに利用することで、教団を膨らませてきたのである。
 いわば、ウィンウィンの関係……。
(……しかし、いずれ私が邪魔になる時がくるのではなかろうか。そうなれば、おそらくセロ王子は、眉一つ動かすことなく私を始末するに違いない……)
 その危惧は、教団が膨張していくとともに強くなっていく。
(もし、その時が来たら、ラーラは、どちらの味方につくのだろう?)
 そのことを考えると、ブランコは自分の額に汗がにじむのを感じた。
 ブランコは、ラーラの不思議な能力、など信じてはいない。
 信じてはいないが、しかし、この妹が、時として薄気味の悪さを感じさせるほどカンがいいことも知っている。
 そして、そのカンが、占い師として近所の評判になり、『ペッロラ・カステーロ』の教祖となり、熱烈な信者が増えていくにつれて、ますます冴えわたってきているらしいことも。
(おそらく、『教祖様』として慕われ、本人もその気になっていくにつれて、天性のカンに磨きがかかってしまったのだろう……)
 とブランコは考えているのだが、そのせいで、妹が徐々に手に負えない存在になってきているのも、また事実だ。気色の悪いことに、最近のラーラは、ブランコの顔を見ただけで、彼が妹に隠しておこうとしていることがあること、が、わかってしまうらしいのである。……もっとも、この件に関してブランコは、
(ラーラは、ひょっとすると、教団内部の誰かを使って私の行動を監視させているのかもしれない……)
 という危惧の方を大きく感じているのであるが。
「…………」
 ブランコは自分の携帯電話を手に取り、じっと考えこんだ。
 先日会った私立探偵の女が、ラーラと会いたがっているらしい。
 その件について女探偵から直接頼まれたエレーナは、
「ラーラ様を殺人事件なんかに巻き込みたくないのだけれど……」
 と深刻な顔つきでブランコに相談してきたのだが、ブランコの方は、
(……しかし、あの女探偵は使えるかもしれない……)
 と考えている。そう考えて、既にラーラには、その件、ラーラの専属従者の老婆(ソフィーアという、ファベーラ時代からの信者である)を通じて伝えてある。
 ラーラからの返事は、まだ聞いていないが、ブランコはかまわずエレーナに電話をかけ、女探偵をラーラに会わせてみることにした。
 彼女は、チャン・ハオランというカジノ付きホテルのオーナーのみならず、『例の老人』なる、エレーナの言葉を借りれば、
「とてもお金持ちで、とても顔の広い方」
 という謎の人物からも依頼を受けて、はるばる日本からブラジルまで来ているらしい。
(よほどの腕利きなのだろう)
 とブランコは素直にそう判断し、しかし、
(……そんな風にも見えなかったが)
 と一瞬、英語すら話せないらしく、終始日本語のわかるエレーナとミカとばかり話していた女探偵の姿が思い浮かび、ブランコの指先の動作を止めかけたのだが、
(……まあ、人は見かけによらない、というし)
 と半ば自分を無理やり納得させ、エレーナを呼び出す電話の音に耳を澄ませる。

     *

 イワサキは、自分が、けっこううまくやっていることに満足していた。
 ミカに声をかけられたときは正直驚いたが、その頼み事を巧みに利用して(もっとも知恵を授けているのはジュンギなのだが、イワサキはそのことに気づいていない)、ユンやショージをブラジルまでおびき寄せることに成功したし、おまけに、ミカと『C.O.B.』の両方からギャラをもらっているので、懐も温かい。
(だが、これで終わりじゃねぇ)
 ということくらいは、さすがにイワサキでもわかっている。
(むしろ、ここからが本番だ)
 イワサキにすれば、憎いのはユンよりもショージである。
(あの時、ショージが裏切らなければ、俺はユンとかいう外国人なんか、日本から叩き出していたはずだ)
 と信じているからである。
 イワサキは、自分は人気のあるリーダーであったと思っているし、ある面では、事実そうであった。現に、今、『C.O.B.』には、旧餓鬼時代のメンバーが五人もいる。この五人は、どこからかイワサキの生存を嗅ぎつけ、彼を『慕って』日本からブラジルまで追いかけてきたのである。
 イワサキは、『平和に大人しく生きることが生まれつきできにくい方の人たち』には、確かに人気が出やすい人である。
 彼は率先して『ヤバい事』を楽しむし、彼のやるヤバい事は、仲間たちの多くを楽しませた。
 仲間たちの多くを。
 ただ、ショージのような『気難しい野郎』を除いては。
 ショージは確かに頭がよかった。イワサキが、(法に触れる行為を含む)ヤバい事を楽しみつつも、捕まりもせず娑婆に居続けられたのは、全てショージのおかげであった。
 だが、一方でショージは『ノリが悪く』、積極的にイワサキのヤバい事に参加しようとはせず、少し離れた場所から、どこか冷ややかな目つきでイワサキと仲間たちを見ていた。それを、イワサキは、
(ショージの野郎、ちっとばっかり頭がいいのを鼻にかけて俺たちを馬鹿にしてやがる……)
 と内心不満に思い続けていたのであるが、
(だが、まさか、あいつが俺たちを裏切るとは……)
 という件に関しては、いまだに信じられない思いでいる。
 信じられないような思いがする反面、ジュンギから、
「ショージは、お前たちを使って自分の能力を試していたんじゃないのか?」
 と指摘されると、確かにそんな節もあった……ような気もするのである。
 少なくとも、ショージがイワサキたちと仲間でいることを、特に楽しんでいたわけではなかったことは確かだ。
(ショージの野郎、俺をコケにして、ただじゃ済まさねぇからな)
 そんなことを考えつつ、イワサキは、カワタを探して歩き続けている。
 カワタを探して、もう三時間近く『C.O.B.』の本部事務所やら寮やらをうろつき続けているのである。
 アジア方面での仕事に出向くカワタに、ショージの存在を教えたことは、イワサキとしてはショージを倒すための布石のつもりであった。
 イワサキはカワタを、自分が『C.O.B.』に誘ってやったのだから、自分の子分も同然だと思っている。
(何せ、俺を慕ってくるやつら、揃いも揃って馬鹿ばかりだからな……)
 とイワサキは舌打ちしたいような気分で五人の仲間たち(ゴンダ、ナカムラ、サトー、キリヤマ、スギタ)の顔を思い浮かべた。彼らは言うまでもなくショージに顔を知られている上、どう控え目に表現してみても、『ショージを陥れるための作戦行動を言われた通りに実行するのも覚束ない能力値』の人々であった。
(そこへいくとカワタの野郎は、ちっとばかり頭がキレるようだからな……)
 少なくとも、イワサキにはそう見えるのである。
 カワタならば、「このようにしろ」と言われたことを過不足なくやり遂げ、あわよくば、ゴンダたちのサボりを食い止め、余計な行動を阻み、最低限の集団行動をとらせることができる……のではないか、とイワサキは期待している。
(……あ。そういや、カワタの野郎、昨日だったか、自動車事故を起こしたとか言ってやがったな)
 カワタ探しが三時間を超えたころ、イワサキは、ようやくそのことを思い出した。
(と、いうことは、野郎、罰金でも払いに警察にでも行ってやがるのかもしんねぇな)
 それならば、カワタが事務所にも寮にもおらず、携帯電話の電源が切られているらしいことにも説明がつく……、と、イワサキには思われた。
 思われたものの、じゃあカワタを捕まえに警察署まで行こう、とは思わなかった。
 イワサキは日本で行方不明者として扱われているはずである。いまは、もう少し、行方不明者のままでいた方が都合がいい。それに、彼を慕ってブラジル入りしてきたゴンダ以下の仲間たちは、いずれも日本でつまらない犯罪を犯し、指名手配をされているのである。
(まさか、ブラジルにまで手配書が写真付きで来てる、てこともねぇだろうが、ひょんなことからアシがついても、つまらねぇからな)
 と用心深く考え、
(それに、……俺は、ショージと違って仲間を裏切らねぇからな)
 と自画自賛を付け加える。
 いずれにしても、カワタは待てば必ず帰ってくるはずだ。何せ『C.O.B.』は彼の職場で、さらに住処でもあるのだから……。

     *

 カワタは、困っていた。
(いまは、まだ帰りたくない……)
 という恋愛ソングの歌詞のようなことを考え、所用を済ませてなお、グズグズと街で時間を潰しているのである。
 野生のカン、とでも言ったらいいだろうか。
(いま帰ると、厄介事に巻き込まれる……ような気が、どういうわけか、する……)
 のである。
 それで、所在なく街をうろついた挙句、目についたカフェに飛びこみ、特に飲みたかったわけでもないアイスコーヒーを、ちびちびと飲んでいるのである。
 カワタには厄介事の中身は見当がつかなかったが、それを持ちこんでくるだろう相手、に関しては、くっきりとわかった。
(イワサキさんも、困った人だ……)
 カワタはアイスコーヒーの氷を見ながら、小さくため息をつく。
 どうやらイワサキは、カワタを己の子分のように思っている節がある。自分がカワタを『C.O.B.』へ連れてきたからであろう。
 確かに、その点に関しては、カワタもイワサキに対して恩を感じていないわけではないのだが、だからといって、そうなったつもりもない子分扱いにされては迷惑以外の何ものでもない。
 たぶん、カワタはイワサキに紹介されなければ、『C.O.B.』の存在すら知らないまま現役引退を迎えていたことだろう。
 だが、主に実技を重視した入団テストにパスしたのはカワタの実力であって、だから、そこまで恩を感じる必要もない、と思うのだが、残念ながらイワサキは、そうは思っていないらしい。
 かといって、カワタも別に全然感謝の念がないわけでもないので、
(……困ったなぁ)
 と、またため息をついてしまうのであった。
(まあ、どうせ短いお勤めだから、と思って波風立てないようあしらい続けてた自分も悪いんだけど)
 カワタは、先日ショージ相手にこぼした通り、『C.O.B.』を辞めたくなっている。
 現役生活に未練がないわけではないが、慣れない異国での暮らしに加え、ことあるごとにイワサキに親分風を吹かされ、さらに厄介事の気配までしてきている現状に、つくづく嫌気が差している。
(……俺、傭兵に向いてなかったのかもしれないなぁ)
 ついにネガティブ思考も底についたのか、そんなそもそも論にまで考えが至り、カワタはちょっと遠い目をした。
 戦場での自分の働きに対する評価ならば、決して低くはない自信がある。
 しかし、その他、カワタにしてみれば『猥雑』としか思えない諸々のこと、を、常に持て余している自分、のことも自覚している。
(戦えるだけ、じゃ、ダメなんだよなぁ。要するに……)
 と考え、カワタは、ますます遠くを見る目つきになった。遠いどこかを見つめたまま、(結局、世を生きるということは、そういうことなのかもしれないな)と思い、(他の連中は、こういう雑事をどうさばいているんだろうなぁ……?)と、ふと考えた瞬間、ショージのことが脳裏をよぎった。
 カワタは、ショージのことを好もしく思っている。どことなく信頼できる人、であるような気がするし、彼と話していると、不思議と(この人のために何か助けになりたい……)という気分になってしまう。
「何でも言うて来てくれ」
 という文言が、別に「愚痴を聞く」とか、そういう類の意味ではないことくらいは、カワタにも、さすがに察することができた。
「…………」
 カワタは、つい携帯電話を手に取ったが、すぐにショージにかけるということは、しなかった。
(……もし、イワサキさんの厄介事のターゲットがショージなら……)
 自分が、どちらに味方したいか。
「…………」
 カワタはアイスコーヒーを半分以上残したまま、店を出た。
 空には、既に星が瞬き始めている。
(不良もお家に帰る時間……)
 やや自嘲的にそんな風に考えつつ、ちょうど時間の合ったバスに乗る。
 カワタにとって、『寝床』以上の意味はない寮へまっすぐ帰ると、入り口にイワサキが待ちかまえていた。
「おい、カワタ、遅かったじゃねぇか。さては、サツのダンナに相当しぼられてたな」
 にやにやしつつ、そんなことを言う。
(……あんたじゃあるまいし)
 とカワタは思ったが、口には出さず、代わりにへらっと笑い顔を作り、
「やだなぁ、イワサキさんは。単なる追突事故やっちゃっただけですよ、そんなことあるわけないじゃないですか……」
 と逃げを打ちつつ素通りしようと試みる。
 だが、
「おっと、ちょい待ち」
 と肩をつかまれ、渋々足を止めた。
「いい仕事が入ったんだ。お前もノルだろ?」
 肩をつかまれたまま、低声でそんなことを言われ、カワタは、つい眉をひそめた。
「……いい仕事?」
「そう」
 イワサキは小さくうなずき、唇の端が両耳につきそうなほど大きな笑みを作る。
「とんでもなくヤバい仕事だぜ。普通なら、一生に一度もねぇくらいの……」
(厄介事の予感的中……)
 カワタは背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、ポケットの中にねじこんである携帯電話の存在を強く意識した。

     *

「いいね、会ってみればいいんじゃない?」
 とセロ王子は言った。
 ラーラが、「日本という国から来た私立探偵とかいう人が、私に会いたがってるらしいんだけど……」と近況報告も兼ねて相談してみたときのことだ。
「私立探偵なんて、面白そうな人じゃないか」
 セロ王子は、そんな風にも言った。
 兄であるブランコは、あまり信じてくれないが、ラーラは自分の『不思議な能力』を信じている。
 そして、その能力が、信者たちの熱烈な信仰心に煽られるようにして、日々、ますます強くなっているように感じる。
 だから、わかるのである。
 例えば、セロ王子のラーラへの『愛情』が、『何かの役に立てようとしている』という下心を除いても、ある程度以上に本物であることも。
 彼女の忠実な信者の一人であるエレーナ・ムラカミが、深く悩み苦しみつつ歌っていることも。
 兄であるブランコが、ラーラのことを最近不気味がっており、昔ほど妹に対して親愛の情を抱けなくなってきつつあるらしいことも。
(何故、兄さんは私のことを不気味がっているのだろう?)
 不思議な能力、と引き換えのようにして、あどけない心が住みついてしまっているラーラには、そこのところは、よくわからない。ただ、不気味がられている気配がすることは、寂しかった。ラーラが幼いころから、親代わりのようになって育ててくれたのが、ブランコだったのに。
(それに……どうして、兄さんは兄さんなのに、『兄さん』って呼んではいけないのかしら?)
 そこのところも、未だによくわからない。
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