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リオデジャネイロ・ライジング・29

 十章 ヴァーサス・2

「……なら、いいけど」
 私は、そううなずき、うなずいてから、自分がサイレンスとスムーズに会話していることに気づいて、内心で少しギョッとした。こうして普通に会話(?)していると、つい忘れかけてしまうのだが、サイレンスは恐ろしい殺し屋なのである。
「凪さん、サイレンスさん、行きましょう。……こういうことは、早く済ませてしまうに限ります」
 とエンゾにせかされ、ミゲウの方へ目をやると、せっかちなミゲウは、もう玄関のドアの前に立っている。
 私は、小走りにミゲウの方へ駆け寄った。

 玄関を入ると、真正面に吹きぬけの大階段。まるで古いアメリカ映画のセットのような光景の中、ミカは、主演女優みたいに堂々とした風情で、私たちを待ちかまえていた。
「……ずい分、大勢で来たのね」
 おそらく助手の面子が予想と違っていたのだろう、ミカは眉をひそめて、まずそんなことを言い、
「そちらの方々は?」
 と、あごをしゃくるようにして紹介を促してくる。私が、まずエンゾに顔を向けると、私に合わせた日本語の会話を完璧に理解しているエンゾは、小さくうなずき、
「我々は皆、凪さんの友人です。初めまして……」
 と自己紹介を始めた。こういう場合、エンゾの、いかにも育ちの良さそうな穏やかな物腰と礼儀正しさは、大きくモノを言うらしい。もともとは日本人のミカには、『日本語と日本文化を研究している大学院生』の肩書も、彼に親近感を覚えさせたのかもしれない、やや表情を和らげて警戒心を解いたような様子が見受けられた。
 が、ほっとしたのは、これまでだ。
「ごめんなさい、早速で申し訳ないんだけど、あなたと話したい、という人がいるの。お話なら後で必ずしますから、まず、こちらの方と話して……」
 とミカに電話を渡された瞬間、私は半ば事態を悟った。
 電話を耳に当てると、案の定、聞き覚えのある声が、
『よう、久しぶりだなぁ』
 と何の芸もないあいさつ。
「……イワサキか」
 私はエンゾとミゲウとサイレンスに向かって、目だけで合図をした。次いで、ミカをちらりと見る。
 ミカは、いったんは和らげた表情を再び強張らせて、私の方を注視している。
 私は会話に集中するために、階段の何もないところへ目を向けつつ、
「てめぇ、生きてやがったのか」
 と続けた。イワサキは、へらへらした口調で、
『ああ、生きてやがったさ。この通り、ピンピンしてるぜ』
 と言った後、小さく笑い、
『残念だったな』
 と付け加える。私は、よほど、「まあ、こっちとしては、あんたが生きていようが死んでいようが、どうでもいいんだけど」くらいのことは言ってやりたかったのだが、無論、いまは馬鹿を相手に下らない口論をしている場合ではない。
 それで、
「ヤン・クゥシンは、どこにいる?」
 と、こちらから仕掛けてみると、イワサキは一瞬沈黙した後、
『……聞きたいか?』
(……ヤン・クゥシンとは誰だ? とは、聞かなかったな……)
 私はそのことを脳内で確認しつつ、もはや隠す気もないらしいイワサキの態度に、事態がいよいよ大詰めへ近づいてきているらしいことを悟った。
(ブランコの話は、やはり本当のことだったか……)
 同時にそんなことも思いつつ、
「ああ、ぜひとも聞きたいね。……彼女、生きてるのか?」
 と問うてみたが、イワサキは、それには答えず、
『会わせてやろうか?』
 と言う。

 私がイワサキの指定してきた場所に行くと告げると、ミゲウは、
「俺は、残ろう」
 と言った。言うまでもなく、ミカを逃したくないのだ。
「お願いします」
 私は素直にそう頭を下げた。ミゲウは、現職の刑事だ。いま、私がイワサキと、ミカの電話で、『ヤン・クゥシン』の話をしたことも、ミゲウには何らかの突破口にできるかもしれない。
「急ぎましょう。もし、ヤン・クゥシンさんが生きているのなら、早く助け出してあげるべきです」
 玄関から外に出ると、エンゾは私たちに向かって、というより、我と我が身を鼓舞するように、そう言った。
 おそらく、怖いのだろう、と私は察し、それは当然のことだと思った。エンゾは、ごく普通に平和に生きてきた、基本的には事件の完全なる部外者なのである。怖がって当たり前だ。というより……、
「……でも、エンゾ、ミゲウを一人にして大丈夫かしら? あなたは、ここに残ってあげたら……」
 とエンゾの親切心を傷つけないように、私は、そんな風に提案してみた。エンゾは、私たちに命懸けで付き合う義理など、どこにもない。
 たぶん、イワサキは敵の味方は敵と踏んで、見境なく襲いかかってくることだろう。私のことなら、サイレンスもいるし、既にロイヤルストレートフラッシュが出そろっている以上イワサキなんか目じゃねぇわ、くらいの気合い(ヤケクソ、ともいうが)も持ち合わせているが、そこにエンゾを巻き込みたくは、無論ない。
 が、エンゾは、
「凪さんとサイレンスさんだけでは、危険です。凪さんは女性だし、サイレンスさんは……」
 と言い張る。
 ちなみにエンゾは、サイレンスが殺し屋である、ということを知らない。
 さらに、声が出ないのではなく、自らの意志で出そうとしないだけなのだ、ということも知らない。
 私はサイレンスを、エンゾとミゲウに向かって、「友人」と紹介しただけで、後の諸事情は口をぬぐって知らぬ顔を決めこんでいた。
 私の身にもなってほしい。
 サイレンス、というこの奇妙な事態を、一体どう説明すればいいのか。
 ……という私の苦悩など知る由もないらしいサイレンスが、「ねぇねぇ、早く行こうよ」という風に、私の上着の裾をつまんで引っ張る。私は……、
「あんたが、ややこしい生き方をするから!」
 と地団駄でも踏みたいような気分であったが、ぐっとこらえることにした。……大人だから。
 結局、私とエンゾとサイレンスが再び車に乗りこみ、今度はエンゾに運転を任せて、イワサキの口にした指定場所へ向かうことになった。
 指定された場所は、ここから少し離れた場所にある、かなり前に廃業したというホテル(の廃墟)で、
「その場所なら、知っています。ちょっとした有名スポットなんですよ。森の中に一軒だけポツンと建っている、いわくつきのホテルで……」
 とエンゾがシートベルトをしめつつ説明するのに、私は、ちょっと苦笑いを漏らした。
「ああ、日本でもよくある、心霊スポットってやつですか? そういうの、ブラジルにもあるんですねぇ」
 と思ったからだが、
「ちょっと違う。なんでも、当該ホテルが営業していた時分の話ですが、あまりにも客が来なさ過ぎたせいか、経営者が黒魔術にはまってしまったらしくて。十年位前だったでしょうか、彼が亡くなった後、それらしき痕跡がたくさん発見された、までは、まだいいにしても、その痕跡の中に人骨が混じっていたところから大ニュースになり、当時ブラジル中が大騒ぎになったんです。一時はホテルとその周辺も警察に封鎖されていたんですが、いまではすっかり忘れ去られ、近寄るものは気合いの入ったオカルトマニアを除けば、誰もおりません」
「……そんな場所、行きたくないんだけど」
 と私は心から言ったが、
「しかし、凪さん、だからこそ、人ひとり隠しておくには、都合のいい場所だと思いませんか」
 とエンゾは推理してみせる。
「だから、私は希望を持っているんです。ひょっとしたら、ヤン・クゥシンさんは、そこで生かされているかもしれません」
「……だと、いいけど」
 私は曖昧に言ったが、事件の実行犯がイワサキとほぼ確定した時点で、ヤン・クゥシンの生存率が、また下がったように感じていた。
 たとえ誰も近寄るもののない、人里離れた場所にある廃ホテルという格好の場所が確保されたとしても、人間を一人、生かしたまま閉じこめておく、というのは容易な作業ではあるまい。しかも、相手は子どもではない。外国で勇敢に仕事をこなす、しっかり者の大人の女性なのだ。
 イワサキという悪党は、粗暴で、とてもそんな細かい配慮のいる作業ができるタイプではないのである。
 私は、かつて自分がイワサキに同じように拉致され、どこぞの廃墟に閉じこめられかかったことを思い出し、いま、ヤン・クゥシンが同じように、いわくつきの廃ホテルに拉致され、その上既に殺されているかもしれない、と考えると、やりきれない気持ちになった。
 以上の如く考えるのは、さすがに自分でもネガティブすぎるか、と思わなくもなかったが、一方で、ここであまり希望を持つのも危険であるように思われた。そこをイワサキに、つけこまれないようにせねばならない。
 そんなことを考えつつカバン越しに銃の存在を確かめ、ふと、後部座席にいるサイレンスに目をやったのだが、サイレンスは、こちらに背を向け、両膝を座席について、熱心に後方の景色を見ている。
(相変わらず、妙に子どもじみた振る舞いをする人だな)
 と私はあきれて、その背中に声はかけずにおくことにした。

     *

(乗ってるな)
 とサイレンスは、セダン型の車のトランク部分を眺めつつ、そう判断した。
 サイレンスが(乗っている……)と考えているのは、先日出くわした細長い暗殺者……つまり、ラテーロのことである。
 サイレンスの鍛えぬかれた五感が、かすかな物音や臭い、皮膚に伝わる敵意のこもった熱感や車を通じて感じる総重量の気配等々、自分でもうまく説明できない感覚で、そういうものたちを捉え、確かにそこに敵がいることを告げているのである。
 サイレンスは、まず、このことについて凪たちに告げるか否かについて考えねばならなかった。それについて、
(まあ、ひとまず、このことは黙っていよう)
 と決めたのは、ただでさえ修羅場に不慣れな凪には、目先の対イワサキ戦に集中しておいてもらった方がいい、と判断したからである。
 次いで、ラテーロの始末について考えてみたが、
(とりあえず目的地に着いたら、凪たちだけ先に行かせて、自分一人で、あの細長い暗殺者を始末しようか?)
 という案を、
(……が、そういうわけにもいかないか。凪とエンゾだけじゃ、イワサキを何ともできるはずがない。悪くすれば、逆にやられるかも)
 と却下し、さらに、
(……もう面倒くさいから、いま、トランクごと撃っちゃおうかなぁ)
 とも考えたが、しかし、
(……でも、これは、エンゾの車だしなぁ)
 ということを考えると、その案も却下せざるを得ないらしかった。サイレンスの倫理観では、敵の持ち物はどう扱ってもかまわないが、味方の持ち物は大事にしなければならない、ということになっているのである。いまのところ、エンゾは味方である、とサイレンスは判断している。
 無論、相手がこちらの攻撃の気配を察して応戦してきた場合、自分は何とでもなるが、凪とエンゾは危ない、という点も無視できない。
(……いいや。あの細長いのは、当面放っておこう)
 とサイレンスは、ようやくのようにして、そう決めた。そう決めてしまうと気が楽になり、前に向き直って、目的地までのドライブを楽しむことにした。

     *

「ちょっと用事ができた。今日の晩の集合場所と時間は、覚えてるな? 遅れるなよ、遅れると置いていくからな」
 とイワサキが慌ただしく出て行くと、カワタは行動を開始した。
 イワサキの言う『今日の晩』とは、『サンバの夜作戦』のことで、深夜集合、日が変わって翌早朝決行という手はずになっている。
(そんな大事な日に、何の用があるんだか)
 とカワタは半ばあきれ、しかし、半ばはラッキーだと思った。
 鬼のいぬ間に、ヤン・クゥシンの死体を探せるからである。
 凪たちとチョウ・ジルイ殺人事件について話しながら、カワタには、ふと、
(あそこか、あそこか……)
 と数か所、死体であるならば人間を隠しておけそうな場所、の予測が立っていたのである。
 念のため、見てみるつもりだった。
 言うまでもなく、ヤン・クゥシンという人間とカワタは、いかなる関係も持ったことがないのだが、もし、彼女の死体が予測通り『C.O.B.』の敷地内にあるのであれば、自分が探すのが一番早い、とカワタは思った。
 運営に関してはよい評判の方が少ない『C.O.B.』ではあるが、さすがに敷地内関係者以外立ち入り禁止、という部分に関しては厳重である。
 何せ敷地内に武器庫と射撃練習場が、あるのだ。
 カワタが、まず向かったのは、その射撃練習場である。
 射撃練習場は野外のものと屋内のものがあり、契約傭兵は、いつ使ってもいいことになっているが、夏場は屋内型の方が人気である。
(ラッキー……)
 とカワタが思ったのは、期待通り(というのは、最近某国から大口の発注が来て、ほとんどの傭兵たちが出払っているのを知っていたからであるが)、野外型の射撃場に人の姿はなく、ひっそりと静まり返っていたからだ。
 念のため、練習場の出入り口に内側から鍵をかけ、広い野原の遠い先に数本の的が立っているだけのそこへ足を踏み入れると、カワタは真っすぐ的の方へ向かって歩いた。
 そこへ行くのは、初めてのことである。
 当然だろう。誰も(的そのものを交換する作業時以外)そこへは近づかない。射撃練習場は二十四時間フルオープン仕様なのだ。うっかりそんなところをうろついていると、射撃の的にされてしまう。
 カワタは的のそばを通りぬけ、さらにその向こうにある、ちょっとした林の中へ入った。
 林は、ごく小さなものであるが、射撃場とは逆側の周囲を有刺鉄線で囲われており、中央に小さな沼がある。ちなみに有刺鉄線の向こうは、高い壁になっており、その塀の外は国道で、多くはないが一般の車が普通に走行している状態である。
(要するに、うちの射撃場は、もともと自然にあった林を利用して作ってあるわけだ……) 
 と生まれて初めてそこへ足を踏み入れることで、そのことを知ったカワタであったが、しかし、
(それにしても、沼は予想外だった……)
 と困り顔で沼の表面を見おろした。射撃場の向こうにある林、など、誰も近づかない。女の死体を隠すには、もってこいの場所だと考えたのだが……。
(沼の底に沈められている、となると、俺一人で探す、というわけにはいかない……)
 と途方に暮れる思いがする。この沼が、どれくらい深いのか、など、カワタには見当もつかない。
(……ん?)
 ぼんやりと沼の表面を見つめていたカワタは、ふいに大きく目を見張った。
 うっそうとした木々が微風に揺れ、それに連動して葉漏れ日が揺れた瞬間、沼の、カワタから見て対岸の方で、きらりと光るものがあったからである。
(……何だろう? 水面に光が反射しただけかな……)
 と思いつつも、目をこらして光のもとを確かめようとしたとき、
「ギャー」
 とカラスが一羽、けたたましい鳴き声を上げつつ、どこからともなく飛んできた。カラスは、たぶん翼を休めるためだろう、先ほど葉漏れ日を投げかけた辺りの木にとまった。カラスの振動で、また、葉漏れ日が揺れ動く。
 きらり。
 と、確かに光るものがあった。
 カワタは我にもなくドキドキしたが、勇気を出して、沼の周りをぐるりと歩き、対岸の方へ行ってみることにした。
 目標地点と思しき場所に到達すると、ほとりに両膝をつき、沼の水を飲もうとする野生動物のような格好になって、目をこらした。
 指、のようなものが、水面から突き出しているのが見えた。何かをつかもうとする形に折れ曲がった指が、一本だけ水の上に這い出している。
 それが指である、とわかったのは、その根元に金色の指輪が、ついているからだ。それがなければ、木片か木の葉が沈みそこなっているもの、としか見えなかっただろう。
「…………」
 日頃、戦場では死体を見慣れているはずのカワタであったが、そうと気づいた瞬間、戦慄した。
「ギャー」
 と再びカラスが鳴き、バサバサと羽音をさせて飛び立っていく。
(……あいつ、あのカラス、ここに死体があることを教えてくれたんかな)
 遠ざかっていくカラスの羽音を聞きつつ、カワタは、ふとそんなことを考えた。

     *

 一方そのころ、ユンとシンはクネイルの滞在するホテルの清掃員に化けて、掃除に励んでいた。
「ユンさーん……、マジでホテル中掃除するつもりぃ?」
 とシンは不満丸出しの口調である。ユンは、意外と(?)熱心にモップで床を磨きつつ、
「ちゃんとやれ。怪しまれたら、終わりだぞ」
 と小さな声で叱った。
「……別に終わってもいいけど」
 とシンは首をすくめつつ、何だか情けない声を出した。もう二時間以上、こうして掃除をしている。さすがに、そろそろあきてきた。
(ユンさんは警備の様子と内通者の存在を探す、とか言ってたけど、……内通者、なんて、見てわかるのかなぁ?)
 シンはユンの横顔を眺めつつ、そう訝しんだ。
(でも、ひょっとすると、ユンさんは、もう何かつかんでいるのかもしれない)
 ふと、そんな気がし、
(……だったら、僕にも教えてくれればいいのに……)
 と、ちょっと不満に思った。
(シンが、あきてきているな)
 ヤケクソのようにモップを動かしているシンの不満顔を横目に確認し、ユンは内心でおかしがった。
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ふじきよ なお

Author:ふじきよ なお
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元教師の女私立探偵と傭兵たちの冒険譚を描く長編小説のシリーズを中心にお送りするブログ。最新作『モスクワ・デスティニー』完結。

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