FC2ブログ

記事一覧

上海レクイエム・3

 一章 鈍いナイフ・2

「……意味がよくわかりませんが」
 ショージのセリフに対し、アヤセはそう眉をひそめた。
「もともと二竜会は、リュウジが遊び仲間集めて作った、まあ、グループとも言われへんような集団やったらしい。それが、だんだん人数が膨れ上がり、リュウジの手腕で組織化していったんやな。けど、それにつれて、かつての遊び仲間たちがいっぱしのならず者になっていく……。リュウジは、そのことでえらい気を重くしとったようや」
「そりゃ自分勝手な話っすよ!」
 アヤセがそう怒気を発すると、ショージはひっそりと笑い、
「だから、そう言うとるやろ」
「それだったら、ショージさんが出張ってくる前に、とっとと解散しちゃえばよかったのに」
「どっこい、そうはいかない。嫌になりました、ほい、解散!……で足洗うて一般社会に戻れるような器用なやつはええ。けど、そうはいかん連中も多い。この世界に染まり切って、ぬけられんようになった連中……。そういう連中に勝手にせぇ、言うほど、薄情な男なら、悩みもせなんだやろうけどな。
 もちろん、自分が作り上げたもんに対する執着もあったろう。
 俺が解散を迫ったとき、リュウジはそういう諸々の葛藤の中におったんや。行くも地獄戻るも地獄、かと言って感情を排して理詰めで割り切ることもでけへんかったようやった……」
 ショージはそこで言葉を切り、タバコの箱をカサカサと揺らした。今日は、少ししゃべりすぎている、と内心で苦笑を漏らす。
「……その、リュウジって、ユンさんを殺そうとしたんでしょう?」
 アヤセはちょっと遠慮気味にそうきいた。餓鬼の中でも雑用係という立ち位置の彼は、ユンに会ったことがない。見たことならあるが、向こうからは自分が目につかないよう、非常に気をつけた状態で見た。自分は思いもよらぬ場所で思いもよらぬ人々から重宝される存在であることを、餓鬼において知ったからである。一人いると、意外と便利。それが、アヤセであった。
「せやなぁ」
 ショージは、当時を思い出すような目つきをし、
「解散ちゅう選択肢が、やっぱり現実的な判断やったと、俺は思う。だが、リュウジにしてみりゃ、それで済まんもんがあったやろ」
 と、いったん言葉を切ると、重いため息をついた。
「リュウジのアレは、自殺やった、と俺は思うとる。どうせ死ぬなら、華々しく大物狙うて、二竜会とともに自分も一緒に消えてみせたんや。……いかにも、あいつの考えそうなこっちゃ」
 ショージは、そこでふっと笑い、
「あいつ、俺には目もくれてなかったわ」
 と、独り言のように付け足した。アヤセは返事を差し控え、内心でちょっと首をかしげる。なんだかショージまで、リュウジの不在を寂しがっているような言い方だ、と思ったからだ。裏社会に属しつつも、そこから巧妙に距離をとっているアヤセには、ショージやリュウジといった人たちの持つ激しさや奇妙な仲間意識(ときに敵に対してさえ)は、どうにも理解できない何かなのだった。

                 *

「説明してもらおうか、何故、先生をマッチョマンにした!?」
 とある日の放課後の職員室、私はイスに脚を組んで座った状態のまま、目の前に並んで立っている二人の生徒の顔を見上げた。シンと、ソウタ。いたずらの常習犯であるこの仲良しコンビが、またもやらかしたのである。ちなみに「先生をマッチョマンにした」とは、合成写真のことである。マッチョマンが筋肉をやたらと強調したポーズをとっている写真の顔の部分に、私の顔写真が合成してある。
「いや……あの……」
 おそらく首謀者であるシンは、そう口ごもって顔を伏せた。両肩が小刻みに震えている。反省して泣いている……はずはない。笑いだしそうなのを、こらえているのは明白である。
 ふと、シンとは別の方角から「ふっ……」と吹き出す音がし、私はそちらを横目で盗み見た。私の隣に席をしめる、英語のミア先生が、合成写真を手に取り、うつむいて肩を震わせている。私は渋い顔になった。ひとが怒っているときに笑われたら、格好がつかないではないか。
 私は威厳を取り戻すべく、エヘンと咳払いして、ぐっと背筋を伸ばし、
「答えろ! どうして、先生をマッチョマンにした!?」
 と、机をバン! と手の平で叩いて、怒りを表現した。
「これは、セクハラだ!」
 と、追加で怒ると、シンは真顔で、
「セクシャルハラスメント」
「正式名称は、どうでもいい!」
 私は再び机を叩いたが、どちらの場合も首をすくめたのはソウタの方で、シンはけろりとしていた。私は舌打ちを苦労してこらえる。この子は、いつもそうだ。私はつい恨めしい気持ちで、シンの顔をにらんだ。シンは、私の怒りを恐れない。そして、そのことを隠そうともしない。
 そう考えると腸が煮えくり返るような気がしたが、さりとて、これ以上怒ってみせたところで、何の効果もないことはわかっている。
 私は、禁じ手を打つことにした。
 立ち上がって、シンの脳天を、思い切りはたく。
「痛ぇ!」
 大げさに頭を両手で抱えてみせるシンに、私は低い声で、
「いま、自分がもっとも言うべきことだと思う言葉を口にしなさい」
 と命じた。相手の対応によっては、二発目も辞さない覚悟である。
「すみません、ごめんなさい、もうしません」
 シンは素直に命じた通りのことをしたが、それは明らかに口先だけの言葉として響いた。……やれやれだ。
「とにかく、もう二度とこういうことはしないように!」
 最後に改めてもう一度叱ると、
「すみませんでした!」
 シンとソウタは二人同時に頭を下げ、職員室を出て行った。出て行く寸前、ソウタが一瞬立ち止まり、未練たらしく一瞬振り返る。
 それに気づいた私は、やっぱり、とつい苦笑いを漏らした。彼ら、……特にソウタは、半ば職員室に呼ばれるのを期待して、いたずらをするのだ。お目当ては、凪先生の隣の席にいる、ミア先生、だ。

「笑わないでよ、ミア先生」
 二人が退出するのを待って、私はミアの方へ体を向けた。さっきから、ずっとこっそり(本人としては、そのつもりらしい。バレバレだけど)笑っているのだ。……これだけウケれば、あの二人も本望であろう。
「ごめんなさい、あの子たち、おかしなことするのね」
 笑いすぎて出たらしい涙をぬぐいながら、そんな風に言う。
「言っとくけど、ミア先生のせいだからね」
 私はマッチョマンの写真を丸めてごみ箱に捨てながら、そう文句をつけた。ミアはきょとんとして、
「え、私? どうして?」
 と、自分の顔を指でさす。
「あいつら、ミア先生の気を引きたくて、わざと職員室に呼び出されようとしてんだよ」
 私はそう説明しながら、改めてミアを観察した。普通に、美人だ。男子校にこんな人を置いておいていいのか、と思いたくなるくらい。当然、彼女の気を引きたがっている生徒は大勢いるのだが、ソウタほど熱心な子はまれだと思う。ソウタが、よほどミアを気に入っているらしいということは、見ていれば誰にもわかる。
「まさか」
 美しき人は、私の言葉を言下に笑い飛ばした。
「あの二人、授業中でも休み時間でも、私に話しかけてきたこと、ないわよ。……きっと凪先生に叱られるのが、嬉しいんだと思うわ」
 ミアの言葉に、私は顔をしかめた。シンに関していえば、そうとも言えるかもしれない。あいつは、私を怒らせて遊んでいるのである。
「まったくなぁ。よくああいうしょうもないことを、次々思いつくもんだよ」
 そうぼやいてみせつつ、でも、脳の隅では別のことを考えていた。ソウタに関していえば、話しかけないのではなく、話しかける勇気が出ないのだろう。……シンの場合は、そんなしおらしさはないだろうが。
「そういえば、来週末、テストだね」
 と、私は話をそらせた。テストは各教科の担当が、持ち回りで作ることになっているのだが、今回は私の番ではないので楽ちんだ。ミアの方は、順番がまわってきているらしく、
「昨日、やっとできたとこ。教科主任がうるさくて。三回も作り直しさせられたのよ」
 と渋面で、しかし後の方の文句は小声で言う。
「テストが終わると、夏休みね。凪先生は、休み、どうするの?」
 気分を変えるように口調を変えて、今度はミアが話題を変える。私は、
「さぁ」
 と、曖昧に首をかしげた。私の場合、すべてはユンしだいだ。そう思いながら、
「……たぶん、寝夏休みになると思うよ」
 と冗談口をたたく。ミアは、「右に同じよ」と肩をすくめ、
「つまんないわね。……それより、こないだの話、きいた?」
 と、嬉々とした表情で、新しく仕入れたらしい校内の噂話を始める。ミアは私と同じく、この春からの赴任組だ。人あたりのいい彼女は噂話に詳しく、新しいネタを仕入れては、私にも教えてくれるのだが、そのことは私にとって、存外楽しみなこととなっている。

 そして、テストの当日。
 テストは、滞りなく進んだ。少なくとも表面上は。
 最終日、回収したテスト用紙を自宅へ持って帰り、リビングルームで採点作業をしていた私は、ふと眉をひそめた。
 無記名の一枚があったからだ。
 テスト用紙はクラスごとに出席番号順に集めてあるので、名前を書き忘れたおっちょこちょいが誰かなど、すぐにわかる。
 ソウタだ。
 私は顔をしかめた。あのおっちょこちょいめ、と思い、つい舌打ちをしたのは、解答の方はわずかなケアレスミスをのぞけば、ほぼ満点だったからである。
 あれほど、テストが配られたら、まず初めに名前を書きなさいと言い渡しておいたのに。
 舌打ちの後、ため息をつき、点数表として使っている名簿に正規の点数を書き込んだ後、テスト用紙に大きく『0』を朱書きした。0点というより、失格というべきかもしれないが、ともかく無記名は0点なのだった。
 出席番号順なので、次の答案はシンのものだ。
 そう席順を思い浮かべながら、0点のソウタのテストをめくり、シンの答案を見た瞬間、私は一瞬呼吸も忘れて思考停止状態に陥った。
 そこには、名前どころか、解答もない。
「…………」
 すぐに脳裏に浮かんだのは、『いたずら』という言葉。いつもの二人が示し合わせて行ったことであろうか。
 しかし私はすぐにその考えを打ち消した。これは、いたずらで済ますには度が過ぎている。先述したように、無記名答案には一応0点の印しをつけなければならないが、答えが一つも書かれていない答案は完全なる0点である。シンは、無論追試だ。それどころか、もし、他の教科でもおなじことをしてた場合、追試どころの騒ぎでは済まないかもしれない。
 私はシンの顔を思い浮かべ、今までのいたずらの数々を思い出し、やはりどうしてもしっくりこないような気がした。この白紙の答案が、今までのそれの延長線上にあるとは考えづらい。
 それとも、単に答えがわからず、何も書くことができなかったのであろうか。
 それも考えづらい、と思った。
 数か月前の中間テストで、シンは六十点以上とっている。クラスでもできる方とは言い難いが、ぎりぎり平均点はクリアしている点数だ。それが、こんなに短期間で一問もわからなくなるほど学力が落ちるとは思えない。
 あるいは、テスト中に体調不良でも起こしたか、とも考えてみたが、テストの時の様子を思い返してみても(当然私はその場にいた)、そんな素振りはなかったと思う。
 これはもしかしたら、私や学校に不満があり、それをこういう形で表明したのであろうか。
 ……とも考えてみたものの、これもシンの普段の印象からはかけ離れた行動様式であるように思われた。だいたいあの子は、そんなしおらしい(?)タイプではない。不満があれば、はっきりと口に出して言うに違いない。あの子は、私に限らず、大人相手に物怖じするということがない。ときに、傍から見ている方がはらはらするほどに。
「…………」
 考えたところでわかるはずのない問題であった。私はあきらめてシンの答案を白紙のまま採点済みのテストの上に重ね、残りの採点を片付けてしまうことにした。あれこれ推測してみても、意味がない。明日、本人に問いただしてみるしかない。

 玄関のチャイムが鳴ったのと、採点作業が終了し、赤色のペンを置いたのと、ほとんど同時だったと思う。私はそのとき、ようやく外で弱い雨の音がしていることに気づいた。
 あわてて立ち上がったつもりだったが、玄関へ走る途中でもう一度チャイムが鳴った。基本ユンは、せっかちだ。
 ユン。
 私は訪れてきた人物をユンだと確信し、何の確認もせず、チェーンを外してドアを開いた。
 果たして、そこにはユンが立っていた。
「馬鹿」
 私の顔を見るなり、ユンはそう言った。
「ドアを開く前に、外に誰がいるかを確認するべきだ。悪い奴がいたら、どうする気だ」
 と。
 悪い奴、とは、この場合、ユンと敵対する人たちのことである。私は、(久しぶりに会って第一声がそれかい)と不満を感じたが、口に出すことは控えることにした。別に久しぶりに会って、出会い頭にケンカすることもあるまいて。
「今晩は泊まる。明日の朝、発つ」
 ユンは私の不満には気づきもしないらしく、テキパキと事務的に今後の予定を口にした。私は、靴を脱ぐために前かがみになっているユンの背中を見つめながら、「わかった」と簡単にうなずく。このとき私は、さっきまで採点していたテストのことも、シンの答案のことも、きれいに忘れ去っていた。
 家の中に、ユンがいる。その感覚だけで、私はひどく幸福だった。何もかもが豊かに満ち足りていて、不安なことなどなにもない、という気がしていた。
 ……もっとも、それが何の根拠もない錯覚であることは、脳の片隅に残る理性にしつこく粘りついているわけで、だから私はひどく幸福である反面、それが錯覚であることに対する憤りで泣きわめきたいような気分も抱えてしまう。
 その混乱。
 近頃、ようやっとそれにも慣れた、と思っている。何年もかかって、ようやっと。
「次は、どこに行くの?」
 私は『錯覚』の方に身を任せつつ、そうきいた。ききながら、ちょっと妙な気がした。いま来たばかりのユンに、もう次にどこへ行くかきくなんて。
「……ほんとは、もう少し、ゆっくりしていきたいんだけどな」
 ユンは私の問いには答えず、なんとなく言い訳するみたいな口調でそう言った。
 私はユンが三和土から上がってくるのを待って、首にしがみついた。会えなかった時間、言いたかった言葉が、するすると溶けて消えていく。私は、体が軽くなる。肩に頬をのせると、上着が湿っていることに気づいた。雨が降っているのだ。
「……いいよ、私も明日学校だし」
 私の方だって忙しいのだ、という意味を込めて言い、でも、言ってしまったとたんになんだか悲しくなった。まるで負け惜しみだ。
 会話が出口を失ったので、私は仕方なくユンから離れ、
「ところで、ごはんは食べてきた? お茶でも入れようか? よかったら、お風呂沸いてるけど?」
 と現実問題に移る。ユンは肩をすくめ、
「……そんな全部いっぺんにはできない」
 と答えた。……いや、誰もそれらを全部いっぺんにやれとは言ってない……。

 ともかくも、その晩はユンが家にいた。私にとって重要なのはそこで、彼が家を出た後どこへ行くかなど、大して重要な話じゃないのだ。もちろん。
 ユンと一緒にいるというのは、覚悟のいることだ。
 彼は、たまにしか来られないし、来てもすぐにまた、どこへともなく行かなければならない。当てもなく待つというのは、大変な大仕事だ。なんといっても相手は法というある種の安全圏の外に生きる人なのだ。
 だから、私は、ある日突然彼がふつりと姿を見せなくなり、しばらく経った頃、共通の知人の誰かから、「彼なら死んだよ」と告げられるシナリオも、現実的な可能性として日々覚悟を決めざるを得ない。
 でも私は最近、そのことについて心配することをすっぱり止めてしまった。意志的なのんき者になることにしたのだ。もしもの時のことなど、何度脳内シミュレーションしてみたところで、意味もなく神経が磨り減るだけだ。
 無論、それは口で言うほど簡単なことではない。けれど、そうでもしなければ、身がもたないではないか。

 翌日。
 まだ眠っているユンを置いて、私は学校へ向かった。外は、激しい雨。私が学校から帰ってくる頃には、ユンはいなくなっているだろう。そのことについても、考えるのは無駄なので、私は考えるのをやめてしまう。
 学校へは電車で通っている。家から最寄りの駅まで十分、そこから電車で十五分、着いた駅から学校までは、五分で着く。
 雨はその日一日中降り続けていた。身勝手なリズムで強まったり弱まったり、いっそ降るのをやめたり、また降ったりして。
 今日はテストの返却日なので、生徒たちも心が落ち着かない様子だった。職員室にいる先生方も、なんだかいつもよりそわそわしているようだ。
 私はそれとなく、うちのクラスに行く前の各教科の先生たちの様子をうかがった。無論、シンのテストの状態が気にかかっていたからである。
 見たところ、異常はないようであった。少なくとも誰一人として、「おたくのクラスの生徒が……」と険しい顔で耳打ちにくるということも、学年主任だの校長だのから呼び出しをくらう、ということもなかった。
 私は念のため、ミアと雑談するふりをして、
「うちのクラスの問題児二人は、どうだった?」
 と、せいぜい冗談っぽくきいてみたのだが、ミアはあっさりと笑い、
「大丈夫よ、二人ともテストは真面目」
 と、普通の口調で言う。
「でも、ソウタ君、いつも以上にスペルミスが多かったわね。それさえなければ、九十点にのったのに」
「……そう」
 私は曖昧にうなずいてみせたが、そのことで不安が軽減しはしなかった。
 だが、要するにシンは日本史以外のテストは、真面目に受けたらしい。……それはそれで、一体どういうつもりなのだろうか。
 その日本史のテストをシンに返したのは、六時限目のことである。
「テストを返すから、出席番号順に取りに来なさい」
 と、声をかけると、生徒たちはのろのろと立ち上がり始める。
 並んで待つ生徒ひとりひとりに採点済みのテストを手渡しながら、私はついちらちらとシンの様子をうかがった。
 シンは何食わぬ顔つきで、時折他の生徒と言葉を交わしつつ、自分の順番を待っている。まるで真面目にテストを受けてたみたいに。
 ソウタの番が来た。
「ソウタ、放課後、筆記用具を持って南館の空き教室に来なさい」
 テストを返しながら、他の生徒の耳には入らぬよう、小声でそう告げる。ソウタは、テストを手にして初めて己の失策に気づいたものらしい。おそらく0の字を見た瞬間、さっと青ざめ、ちょっとふらふらした足つきで自分の席に戻っていった。私は気の毒に思ったが、……仕方がない。
 次は、シンの番である。
「…………」
 名前も解答もなく、だから採点もされていない文字通りの白紙のテスト用紙を手渡す。シンは、平然とそれを受け取った。まるで、良くも悪くもないいつも通りのテストを返された、みたいな顔つきでそれを眺める。
(……こいつは、手強い)
 私はシンの態度から、この件の根深さ、少なくとも単なるいたずらでもミステイクでもなさそうなことを察しつつ、
「放課後、空き教室に来なさい」
 と低声でつぶやいた。

 空き教室とは、文字通り使われていない空き家状態の教室のことで、普段は予備の机やイス等を保管する倉庫として使われている。基本生徒たちは立ち入り禁止になっているのだが、それは備品で遊んだりしているうちにケガなどしないようにするためだ。
 私がその教室に入ったとき、外に降る雨の音が急に激しくなった。教室の電気をつけ、隅に寄せられている備品の山からイスを二脚運んで、教室の中央辺りに向かい合わせで並べる。
 そう待たないうちに、ソウタがやってきた。
「……失礼します」
 ソウタはぼそぼそとした声で言い、ぶすっとした顔で私を見る。
「テスト用紙、持ってきたか?」
 座っていたイスから立ち上がってそうきくと、ソウタはそれをポケットから取り出した。テスト用紙は幾重にも折りたたまれ、おどろくほど小さくなっている。私はそれを受け取って広げ、
「……名前、書いて」
 と、隅に並べてある机の上に置いて指示した。ソウタは、従順に私の指示に従った。
 私はソウタが自分の名前を記入するのを見届け、
「これからは、テストを配られたらすぐに名前を書くように」 
 と、釘を刺しておいてから、正規(?)の点数を書き込んだ。
「……はい」
 ソウタはバツの悪そうな顔つきで、そう返事をしたが、現金なもので顔色の方はすっかり良くなっている。私は苦笑いしつつ、
「帰っていいぞ。……あ、悪いんだけど、シンにここにくるように言ってくれる?」
 と、頼んだ。ソウタは受け取ったテストを、また細かくたたみながら、
「シン?……ひょっとして、あいつも名前書き忘れてたんですか?」
 と、ちょっと目を輝かせる。……どうやら、へまをしたのが自分だけではないかもしれないことに喜びと希望を感じているらしい。私は、また苦笑いを漏らした。
「他人のことはいいから。二度と同じ失敗をするんじゃないぞ」
「はぁい」
 間延びした返事を残し、ソウタが教室から出て行く。私は再びイスに座り、深呼吸して気を引き締めた。
 大変なのは、ここからである。
 ソウタが出て行くと、途端に雨音が耳についた。ずいぶん激しく降っているようで、叩きつける雨音が様々な雑音を吸収するせいか、いっそ静かだと思った。
 5分もしないうちに、教室のドアが再び開いた。
「失礼しまぁす」
 シンは、気楽そうな様子でやってきた。何食わぬ顔つきで、私を見る。
「ドアを閉めて。ここに座りなさい」
 そう命じ、目の前に置いたイスを指で示す。
スポンサーサイト



プロフィール

ふじきよ なお

Author:ふじきよ なお
FC2ブログへようこそ!
オリジナル長編小説中心の小説ブログ。長編小説『リオデジャネイロ・ライジング』完結。長編小説は『上海レクイエム』以降同シリーズの続編となっております。『ダチョウが空を飛んでいる』ぬるりと連載再開。どうぞごゆるり……。

*人気ブログランキング(他サイトに飛びます↓)。

人気ブログランキング

*FC2ブログランキング(ランキングサイトへ飛びます↓)。

ブログURL
http://datyokiyo.blog.fc2.com/

最新コメント