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上海レクイエム・4

 一章 鈍いナイフ・3

「何か用ですか?」
 イスに座るなり、シンはそう首をかしげた。それが、ひどく反抗的な態度であるように私には見え、
「しらばくれるな」
 と、つい取調室の刑事みたいなセリフを吐いて、シンの顔をにらんだ。シンは、平然と私の視線を受け止める。何故私が怒っているのかわからない、といわんばかりの平静さで。
「……他のテストはちゃんと受けたのか?」
 そうらしい、と知ってはいたが、一応そうきくと、
「はい」
 という返事。私は舌打ちでもしたい気分になったが、それはこらえて、
「……答えが、わからなかったのか?」
 と質問を重ねる。
「いいえ」
 案の定、と言うべきか、シンはあっさりと首を横に振った。
「テスト中に腹でも痛くなったのか?」
 更に質問を重ねたが、シンはまた首をあっさりと横に振る。
「いいえ」
 と、口もとにほほ笑みさえ浮かべた、余裕たっぷりの態度である。私は更に質問を重ねた。居眠りでもしてたのか? いいえ。手に怪我でもしてたのか? いいえ。
「だったら、何故答えを書かなかった?」
 とうとう質問がそこへ及ぶと、シンはほんの少し首をかしげてみせた。
「…………」
 ほんの少し首をかしげた状態のまま、無言でじっと私の顔を見る。ふしぎな目だ、と思った。攻撃的でも反抗的でもないが、何か断固とした決意は感じる。
「……それとも、私に何か言いたいことでもあるのか?」
 この様子をどう理解すればいいのだろうと迷いながら、むなしく質問を重ねてみる。が、答える気がないことは明らかだった。シンはやや目を細めただけで、口を開こうともしない。
「…………」
「…………」
 私の方でも質問の種が尽き、無言のにらみ合いとなった。部屋に沈黙が訪れる。黙りこんだとたん、さっきまで遠くに聞こえていた雨音が、にわかに近づいたような気がした。
 私は、ふと奇妙な妄想にとらわれた。シンが、生まれて初めて会った知らない誰かに見えた。どういうわけだろう、いま私の正面に座っているシンは、例えば先生をマッチョマンに変身させた合成写真を作って喜んでいたシンとは別のシンであるような気がする。
「……追試は、来週。範囲は、同じだ」
 ついにあきらめて、私はそう宣告した。これ以上粘ってもシンは何も語らないに違いない。
「はい」
 シンは、ひどくあっさりうなずいた。私はたぶん、シンを恨めし気な目で見たと思う。せめて何か言ってくれれば、こちらとしても対応のしようもあるのだが。
「帰っていいぞ」
 そう告げると、シンは待ちかねたように立ち上がった。
 私は去っていくシンの後姿を見ながら、ついため息をつく。自分がシンに教師として認められていないのだ、という気がして。
 そのため息は自分の耳にさえ届きかねるほど小さなものだったのだが、ふいにシンは立ち止った。まるで、私のため息に引き止められたみたいに。
「……先生」
 シンは、ドアに手をかけた状態で、首だけねじるような格好で振り返った。
「ん、なんだ?」
 と問い返した私の目を一瞬じっと見つめ、シンは、静かな口調でつぶやいた。
「ユンとシオウと、ショージによろしく言っといて」
 と。
「……え?」
 思いもよらぬ三人の名に、私はおどろく、というより、きょとんとしてシンを見返した。最初、誰か知らない名前を聞いたような気がしていた。
 ユン、シオウ、ショージ。
 よく知っている彼らの存在が、名前につられて思い浮かんだのは、シンが教室を出て行ってからのことだ。
 がらがら、ぴしゃん。
 教室のドアがいったん開き、また閉じる音がやけに大きく響く。一人取り残された私は、ぼんやりとシンが出て行ったドアを見つめた。ゆんとしおうとしょーじによろしくいっといて。
 脳内にリフレインするシンの言葉は、やがて不吉な響きを伴って、私はぞくりと肩を震わせた。少なくとも、友好的な響きを持って口にされた言葉ではなかった、と思う。
 
 帰宅後、私はとりあえずショージに電話をかけてみた。ユンとシオウは外国にいることが多いため、何かあったら、まずショージに言うことになっているのだ。無論、今日のシンの発言について相談するためである。
 私はその世界のことにそこまで詳しくないのだが、ユンやシオウ、ショージといった人たちは、裏社会の人には知られた存在であるらしい。しかし、私の認識する範囲内で、例えばシンがどこぞの不良グループに入っているとか、そういうグループに属している誰かと付き合いがあるという話はきいたことがない。
 そもそも、三人と私の関係性を、一体どういう形で知ったのだろうか。
『もしもし? 姐さんですか、こちら、ショージですが』
 ショージは、すぐに電話に出た。ちなみに『姐さん』とは私のことで、彼はどういうわけか私のことをいつもそう呼ぶ。
「あ、ショージ? ごめんね、急に。あのね……」
 と、今日の出来事を語ってきかせると、ショージは『う~ん……』と、ひと声うなり、
『そのガキ、……いや、生徒さん、確かに俺らの名前を知ってたんですね?』
 と、念を押した。
「うん。もしかしたら、校内でこっそり私用電話してたのを盗み聞いてたのかもしれないけど……」
 私はそう言ってみたものの、その可能性は薄そうだった。いくら私が不良教師でも、そうしょっちゅう私用電話ばかりしているわけではないし、そもそもユンはそんなに頻繁には電話をくれない。シオウはいつも私が勤務外の時間であろう時間を見計らって電話をくれる人だし、ショージに至っては、こちらからかけない限り、彼の方から電話してくることはない。
『まあ、その可能性もなくはないですが』
 ショージは不賛成な口ぶりで言い、ふと言葉を途中で切って考え込むような間を作ると、
『……まあ、でも、むしろ何か裏があると考えた方が自然な話でしょうな』
「……やっぱり、そう思う?」
 私はため息混じりにそうつぶやいた。そのとき私の脳裏にあったのは、『組織』という言葉だ。それはショージの方でも同じだったようで、
『そいつ……、シンですか、シンのやつ、どっかの組織に雇われて、そないなことしよったんじゃないですか? その、白紙の答案提出しておいて、わざと二人きりで話すような状況作って……』
 と推測してみせたが、私は首をかしげた。
「……でも、何のために?」
 たとえショージの言う通りだとしても、一体何のためにそんなことするんだろう、と私は思ったのだが、ショージの方はあっさり、
『そりゃあ、あれですよ、二人っきりになったとたんに、ナイフ出してぐさり、と……』
「怖いこと言うな!!」
 私はぞっとしてそう叫び、
「刺されてないし!」
 と付け加えたが、ショージは電話の向こうから肩をすくめるような気配を送ってよこし、
『いやいや。冗談やおまへんで。刺そうと思っとったが、直前で怯むか何かしただけかもしれません』
 などと言い、
『そういうことも起こりうるんですから、ように気ぃつけて下さいよ。刺されてからじゃ遅いんですから』
 と付け加える。私は……夏なのにすっかり肌寒くなった。それはその通りだろうけれども。
「……それより、シンの交友関係のことなんだけど」
 と、肌寒くなった私は、多少無理に話題を変えることにした。
「私の把握してる範囲では、シンがどこかの不良グループに属しているとか、そういうことはないみたい」」
 私の把握してる範囲では、のところに力点を置いて言う。
『それは、むしろ自然な話ですよ。少なくとも姐さんになんかしたろ、と思うなら、そういうことは特に姐さんに対してはひた隠しに隠すでしょうから』
「……あと、さっきもちょっと言ったけど、ソウタっていう子、テストに名前書き忘れてた子のことだけど、あの子とはすごく仲がいいの。ソウタは、なんというか、箱入りってタイプの子で、組織とか不良とかと関係があるとは思えないような子だ」
『それは、カモフラージュかもしれまへんな。できるだけ無害そうな子とつるむことで、己の正体をごまかそうとしとるんかも……』
「…………」
 私は……さっきより肌寒さが増したような気がした。いまは夏なのに。
『まあ、不良グループ云々やったら、姐さんよりこっちの方で調べた方が手っ取り早いですわ。……ただ、俺やユンさんたちの名前出して、姐さんに突っかかっていくようなやつやったら、とっくにこっちの耳にも入ってそうなもんですが……』
 と、今度は首をひねるような気配をよこす。
『なんにせよ、俺、明日そちらに伺います。着いたら電話しますさかい、今晩はくれぐれも気をつけて……。何かあったら、すぐ連絡してください』
 最後にそう言いおいて、ショージは電話を切った。彼はいま、大阪にいるのだという。
 私は携帯電話をリビングのテーブルに置くと、とりあえず家中の雨戸を閉め、窓にしっかり鍵をかけた。念のため、玄関のドアを確認し(鍵もチェーンもしっかり閉まっている)、タンスの引き出しから拳銃を取り出した。これはユンに持たされたものだ。無論護身用である。
 どうやら、しばらくこれを持ち歩かねばならないだろう。
 私はため息でもつきたいような気持ちでそう考え、それを持って風呂場に向かう。ユンたちと一緒にいる、ということは、こういうことでもあるのだった。
 ひとっ風呂浴びると、リビングへ戻り、置きっぱなしにしていたタバコの箱に手を伸ばす。今夜は眠らないことにし、テレビをつけた。別に今晩本気で誰か襲いかかってくると思っているわけではないが、……まあ、敵など来るときは来るものだ。こちらに戦う気があるかどうかなど、おかまいなしに。
 私はずっしりと光る銃を目の端に眺めながら、シンのことを考えた。ショージは、ああ言っていたが、私は違う風に考えている。
 ひょっとしてシンは、ああいうやり方で、私に危険が迫っていることを知らせようとしているのではないだろうか。……無論、多分に希望的観測が混じった憶測であることは自覚していたが、そう考える方がしっくりくる。
 テレビの画面には、気に入りのお笑い芸人が映っていたが、私は上の空でそれを眺めた。脳裏に、シンの情報を思い浮かべてみる。
 シンは、今年の4月に編入学してきた。他県から親元を離れてやってきた彼は、いま、寮住まいをしている。ちなみにうちの学校はかつては全寮制だったが、全寮制廃止となったいまでも3割くらいの生徒が寮生として生活している。
 いまは7月なので、三か月弱の付き合いだが、他の生徒と比べて口をきいた回数は圧倒的に多い。それは無論、いたずらをしたシンを叱る、という手順の中から発生した回数であるが。しかし、いまとなっては、それらの手順も、いちいちの会話も、何か別の意味を持っていたように思えてならない。
 シンは、そういうやり方で私に自分の存在をアピールしていたのだろうか。例えば、私が気づかぬところで危険が迫っていることを知らせるために?  しかしそれでは、あまりにもまわりくど過ぎる気がする。だが、しかし、もし彼が私に危害を加えるつもりなら、いっそ目立たぬように心がけるのではないだろうか……。
 そこまで考えて、私はふと苦笑いを漏らした。深読みを重ねて疑心暗鬼に陥っても仕方がない。
 結局その晩は一睡もせずに過ごしたが、特に何も起きることはなかった。

 翌朝は、すばらしい天気だった。雨は夜中に降りやんだらしく、目が痛くなるような強い日差しが朝から照りつけている。
 私はいつも通りの時間に家を出た。駅まで歩き、いつも通りの時間の電車に乗る。
 電車も、いつも通り混んでいた。私の自宅の最寄り駅は、この時刻、ほとんど降りる人がいない。おかげでめったに座席に座ることはない。この日も乗り込んだ瞬間に一応車両を見回してみたが、座席に空きスペースはなく、それどころか通路にも人がぎっしり詰まっている。私はなんとかスペースを見つけ、頭上からぶらりと垂れ下がっている輪っかをつかんだ。
 やがて電車が、ゆらりと動き始める。
 地方都市のローカル線は、ごとごとと騒々しく、だが、どことなくのんびりした風情で定まったレールの上をいく。私はふと、目の前に座っている女子高生の姿に目をとめた。制服がかわいいと評判の学校で、電車の中には、この学校の生徒が大勢いる。ちなみにうちの学校は、先述したように3割が寮生であるうえ、自転車やバイクによる通学も認められているので、電車を通学に使っている生徒は少ないようだ。
 電車は駅に着くたびに停まり、その都度ひとが乗ったり降りたりするのだが、乗り込む人の方がやや多いらしく、車内が空く様子はない。
 私の目の前に座っていた女子高生は、私の降りる一駅前で降りたが、私は一駅分座るより、スムーズに次の駅で降りられるよう出入り口前に移動することを選んだ。これも、いつも通りの行動だ。
 いつもと違うことが起こったのは、電車を降りる瞬間だった。

 駅に電車が停まり、ドアが開く。
 最初に感じた違和感は、誰かがふわりと私の背中に寄り添った気配だった。近いな、と私はやや不快に思った。降りることを急いでいる誰かが、必要以上に接近してきたような感じ。
 次いで、左腰の上の方に、引き裂くような痛みを感じた。日常にはありえないような痛み方で、私は思わず立ちすくみそうになったが、次々と電車を降りる人波に押されるような格好でホームへ出た。
 自分が刺されたのだ、と気づいたのは、ホームへ一歩足をついた瞬間である。
 私は勢いでふらふらと二~三歩進み、背後に目を走らせた。が、押し寄せる波のように次々と下車してくる人たちが目に映るばかりで、私を刺した人物らしい姿は見当たらないようだった。
 乗客たちは、私の状態に気づくことなく、私の横をずんずんすり抜けていく。
 ふいに視界の端に、見覚えのある顔をとらえ、私は反射的にその方を見た。
 シン。
 そこにいたのは、確かにシンであった。が、その姿をとらえたのも一瞬のことで、シンは私に見向きもせず、あっという間に人波の中へ消えていく……。
 私はぼう然とそちらの方を見つめていたのだが、ふいに誰かの左肩が私の右肩にぶつかり(「失礼」とその人は言った)、我に返った。
 ここで、倒れるわけにはいかない。
 そう考え、痛みと精神的なショックで崩れかけていた膝に力をこめた。足を前に進める。地面を足が踏む度に信じられないくらい痛かったが、それでも痛みはましだった。それより体内の血が、傷口から外へ流れ出している感触が恐ろしい。その感触に耐える方が、苦痛だった。
 私は内心パニック状態であったが、表面上は何食わぬ顔つきで歩いていたと思う。少なくとも、そう見えるよう努力した。幸い大きなカバンを持っているので、それで傷ついた部分を隠すことができた。更に幸いなことに、今日に限って黒に近い濃紺色のパンツスーツを着込んでいるため、血の色も目立たないはずだ。
 周囲の状況から、誰も何も気づいてないことがわかる。このまま気づかせてはいけないと思った。警察に通報されるようなことは、絶対に避けなければならない。脳裏を、ユンやシオウ、ショージといった人たちの影がかすめる。
 ……そうはいっても、あまり長時間歩くことは、できないそうにない。倒れるにしても、どこか人目につかぬところで……と視線をさ迷わせた私の目に飛び込んできたのは、『W.C.』の看板。
 言うまでもなく、トイレのことである。……トイレ。
 そこには、内側から鍵をかけられる個室がある!
 そう思いつき、私は最後の力を振り絞るようにして、看板に描かれた矢印の示す方へ歩いた。
 この駅のトイレは、ホームの隅にひっそり存在している。普段からそこを使っている人を見たことがないのは、改札の外にある駅ビルのトイレの方が、きれいで広いからだろう。……おそらく、よくよく追い詰められた状態の人のために存在しているのに違いない。かくいう私も、初めてそのトイレに入ったのだが、中は薄暗く、個室が三つ並んでいたが、人影はうまい具合にひとつもなかった。
 私は一番手前の個室に入ると、内側から鍵をかけ、洋式の便座に崩れるように腰を下ろした。その拍子に肩にかけていたカバンがずり落ち、床に中身がこぼれる。ボールペンやファイル、携帯電話。
 携帯電話。
 私はほとんど無意識にそれを手に取った。
 正直なところをいえば、そのとき、私はユンの声がききたかった。ユンの声をきけば、この恐ろしさから解放されるような気がして。しかし、もちろん、いま外国にいるであろうユンに電話をかけたところで、どうにもならないことは目に見えている。
 私は遠のきそうな意識をかき集め、リダイアルボタンを押した。昨夜、ショージと電話で話した際、彼は『明日そちらに伺います』と言っていたはずだ。電話を耳に当て、呼び出し音に耳を澄ます。痛みと寒さで体が震え、電話を耳に当てるだけの簡単な動作も辛かった。寒さ。どういうわけか、ひどく寒いのだ。いまは夏なのに。
『はい?』
 ふいに呼び出し音が止まり、期待通りショージの声がした。
「ショージ」
 私は、とりあえずそうつぶやいた。
「……いま、駅で刺されたみたい」
 ショージが何か言ってるのをうつろにききながら、私は自分が言うべきことを機械的に口にした。
「痛い」
 と、付け足したのは、言うべきことをすべて言えた安心感で、気がゆるんだせいだろう。
『姐さん、しっかりしてください、駅ってどこの駅ですか!?』
 電話の向こうのショージの声が、ひどく遠い。
 私が覚えているのは、そこまでだ。あとは真っ暗。意識が暗闇に沈む瞬間、私はつい「ユン……」とつぶやいたが、それはたぶん唇を動かしただけの話で、声にはならなかったと思う。
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プロフィール

ふじきよ なお

Author:ふじきよ なお
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オリジナル長編小説中心の小説ブログ。長編小説『リオデジャネイロ・ライジング』完結。長編小説は『上海レクイエム』以降同シリーズの続編となっております。『ダチョウが空を飛んでいる』ぬるりと連載再開。どうぞごゆるり……。

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