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バルセロナ・テンペスト・1

 *この物語はフィクションです。登場する人物名・地名・団体名等、一切現実のものと関係ありません。

 *この物語は、『上海レクイエム』の続編です。


 プロローグ

『善とは何であるか』
 電話に出るなりそんなことを言われ、私は返事もせずに電話を切った。
 向こうからかけてきておいて、名前も名乗らずそんな質問をしてくる人物の心当たりなど、一人しかいない。
 と思いつつ、事務机の隅にぽつんと置かれた据え置き式の電話機をにらんでいると、案の定、すぐさま再び鳴り出した。
「ジューダスか」
 電話に出るなり、今度はこっちから相手の声も聞かずに心当たりの名を口にすると、相手は電話の向こうからほほ笑む気配を送って寄こした。
『凪(なぎ)さん、嬉しいですよ。声だけでわかっていただけて』
 などと言う。
「……あれだけ長く話せば嫌でも覚える」
 私は、いささかうんざりしつつ、そう答えた。
 ジューダスの話は、長い。そして、おそろしく徒労(言ってもしょうがないような話、という意味で)だ。私が初めて彼と会ったのは、上海のとあるカフェの喫煙所でのことであるのだが、そのときもえらく長く話し込まされた。
「それで、何の用?」
 用件は半ば予想できたのだが、できるだけ素っ気なく響くように気をつけてそう問うと、
『教師をやめて、探偵になったんですって?』
 と、やはり案の定な答え。
「わざわざ様子を伺いに電話かけてきたのか」
 私は苦笑いしつつ、なんとなく『事務所』の中を見回した。『事務所』などと言っているが、実際は自宅の一部にそれらしいスペースを設けているだけのことで、看板を出したり人を雇ったりしているわけでもない。
 さらに言うと、私に『私立探偵』などという職業をこなす何らかのスキル等があるわけでもない。
『どういう風の吹きまわしなんです?』
 とジューダスがからかう口調で問うのは、むしろ意地悪というものだろう。彼はその辺の事情はちゃんと察しているに違いない。
 ユンやシオウ、ショージといった、いわゆる裏社会の人々とのかかわりが深くなるにつれ、そこで私が果たせる役割も、いつの間にか存外大きくなっているものらしい。
 その役割を果たすため教職をやめて自由の身となった。『私立探偵』などという看板は便宜上のものに過ぎず、ユンの組織の外部機関と言った方が実情に近いだろう。
「……別に。単なる気まぐれだ」
 そんな風に答えてみたが、どういうわけかぼやく口調になった。
 教師をやめることに問題はなかった。もともといい教師ではない自覚もあったし。
 だけど、奇妙な気持ちがした。なんというか、自分の人生がユンのそれに吸収されてしまったような。
 そのことを、私はひどく安心なことだと感じる一方、ひどく心細くも感じた。自分がより正しい場所へ着いたような気もするし、でも、では、これからどうなっていくのだろうと思うと、何の見当もつかなくて不安だ。
 ……という風な感傷はさておいて、ジューダスが改めて、という風に問うてくる。
『まあ、それはいいですよ。そんなことより、一番初めの問題に答えてくれませんか。
 善とはいったい何であるか……』
「ソクラテスにでもきいてくれ」
 私は、うめくような感じでそう答えた。『善とは何であるか』という一問は、それひとつだけで哲学というジャンルを終始させうる問題ではあると思うが、同時に、たとえその答えを出せたところで現実的には何の効果もないであろうこと(無論、そもそもそんなものの答えが本当にあるのか、という問題もあるが)は見え透いた問題でもある。私が見た所、世間という場所では、そういうそもそも論に興味すらない人々に限って感覚的な、もしくは流行の善論を振り回すことに熱心であるらしい。そういういわば善の便利使い(これは、どんなにそうならぬよう気をつけても避け切れない現象であるということは自覚しているが)を気軽にしている人々に、善とは何であるかの答えなど出してしまっては、(どうせ聞く耳も持たれまい、という現実を差し引いても)迷惑がかかることこそあれ、ありがたがられることは決してないだろう。
 だから、
「哲学の祖が、自分がそれを知らないことを知っているから自分は他の人たちより少しは賢いと言い放ったようなことが、私にわかるわけないだろう」
 と我ながら当然すぎることを言うと、ジューダスは首をすくめる気配をさせ、
『まあ、そう言われてしまえば一言もありませんが。では、質問の方向性を変えてみましょう。
 人類は、いかようにして、『善』、またはその反対の『悪』という概念を認識するようになったのだと思います?』
「…………」
 よせばいいのに(と後で思った)、ついうっかり私は考え込んだ。
「……思うに、初めに『悪』の『感覚』が生まれたんじゃないか?」
 少しの間考え込んだ後、私はそんな答えを出してみた。
「たぶん、大昔、人類が狩猟採集を主な生業としていた頃には、善悪の概念感覚はなかったんじゃないか。例えば、狩った獲物を誰かに横取りされたとする。現代でいえば、それは『盗み』という『悪』と認識されるが、当時そこにあったのは、激しい怒りや損失に対する落胆でしかなかった……」
『利益と損失、それに対する感情しかそこにはなかった、というわけですね?』
「おそらく。しかし、人々が血縁関係を超えた大きな集団を形成し、共通の利益を求めて共同作業ないし生活をし始めると、例えば『盗まれる』という行為に対する怒りや落胆の感情が、共通認識として集団内で共有される……。そして、社会の発達とともに、『盗み』は『悪』であるという認識に変わっていく……」
『初めに、『悪』が認識された。そこから、反発する概念として『善』が誕生した、という考え方ですね』
「考え方というか、推測だけど。……で、『善』もまた概念として存在するためには、ある程度以上の人数の人間に共通して認識されねばならない。善悪も根をたどれば自己利益の追求から生まれた概念なんじゃないか。実際、誰かの善が誰かにとっては悪、という状況など日常茶飯事だし」
『そう。だから人類は法律や宗教、教育等、様々な手段で、どの行為及び思想が『善』であり、または『悪』であるか、拡散に努めてきたわけです』
「数は、力」
『そう、動物的本能に基づく原理です。どんな馬鹿でも本能に忠実でさえあれば、従うことが可能なシステムです』
「……言い方」
 私は一応ツッコミを入れた。
『しかし、現代には『数は力』であることに対して大きな問題があります。印刷技術やテレビ、インターネットも含め、不特定多数の人間に向かってメッセージを含むあらゆる情報を伝達する技術が大きく進歩しました。それにより、大衆の意見誘導の手段が爆発的に増え、世界とつながることで人数も爆発的に増加し、多数の形成が、より容易になっているようです。言うまでもなく、実際以上に多数だと錯覚させる手段においても……』
「善も資本主義?」
『まさしく。健康にエコロジー、実態は曖昧ながら、生命の危機だけは、わかりやすく感じさせるムーブメントをもって自らの概念感覚上の優位をいち早く保つ……いわば、善の階級闘争ともいえます』
「……不公平であれば不公平であるほどいい。公正でなければ公正でないほどいい。不公平なことや公正でないことを押しつけられた人々は、自分にそれを押しつけた相手の力を感じるからな。闘争である以上、事を為すには力ずくってわけだ」
 私は、脳裏に様々なスローガンを掲げ戦う人々の存在を思い浮かべた。
 仕方がないな、と思う。
 適当な理(例えそこに大げさを含む嘘が含まれていても)がたてば、他者に「これが善だ!」と叫びつつ力ずくで何かを強制してもいいという前例を作ってしまえば、よし我もと思う人々や、この次には何を押しつけられる(奪われる)だろうと怯えた人々が、腕に力をこめて口々に自己主張しだすのは当然の結果といえるだろう。
『ところで、ねぇ、凪さん?』
 ふいに、ジューダスは珍しく真面目な声を出した。
『世界史は、いま、転換点を迎えていると思いますか?』
 そんなことを問われ、私は小さく笑いを漏らす。
「それに対する答えは、常に、じゃないか?」
 ジューダスは少しの間沈黙した後、小さくため息をついた。
『凪さん、気の合う友人との会話は人生における最も幸福な時間のひとつですが、……残念ながら私の時間も無限ではありません』
「……私には徒労感しかないが、そりゃ結構だ。話が終わったんなら切るぞ」
『あ、ちょっと待ってください。嫌だなぁ、一番大事な話が、まだですよ。
 実は、私の世話する老人がですね、あなたが探偵になったという話を聞いて大変面白がっておりまして。それで、ぜひともお願いしたい仕事を思いついたのだそうで……』
「……思いつきの仕事か」
 私は、ちょっと顔をしかめた。
 ジューダスの世話する老人、とは、高齢の上、病をしぬいたとかで寝たきりの状態であるにも関わらず、中国政財界に大きな影響力を持つという人物である。みだりにその名を口にするのもはばかられるらしく、『例の老人』などと呼ばれている。私はそれ以上のことは何も知らないが、ユンたちが彼らの仕事をする上で重要な人物であることは間違いない。
『仕事の内容は、会った上でお話ししたいということです。……どうしますか?』
 ジューダスと、彼の世話する老人こと『例の老人』は、上海のプートン地区に住んでいる。
「わかった、行くよ」
 私は、ためらわずにそう答えた。電話を切ったら、すぐにユンに連絡して、このことを報告しなければならない、と脳の隅で考えながら。

    *

 スペイン。バルセロナ。
 『カンプ・ノウ』。
 収容人数九万人を超える巨大なスタジアムから出ると、ユンとシオウは申し合わせたわけでもないのに、ほとんど同時にほっと安堵の息を吐いた。
「うまくいったな」
 おかしそうにシオウがつぶやいた直後、スタジアムから「わあっ!」という大歓声が聞こえてきた。試合は、まだ続いているのである。
「試合が終わる前に、早くここを離れよう」
 シオウの「うまくいったな」には答えず、ユンは前方をあごをしゃくるようにして示しつつ言い、
「ネイサンが追いかけてくるかもしれない」
 と付け足した。
「まさか……」
 シオウは苦笑いを漏らしかけたが、その間にもユンは、とっとと歩き出している。
 ユンの属する組織には、五人の首脳と呼ぶべき人物がいる。その一人が、ネイサンである。
 ネイサンは早いうちからユンに目をかけ、抜擢する形で彼を日本に送り込んだ、いわば恩人なのであるが、残念ながら両者の関係は、最近、あまり上手くいっているとは言い難い。
 今回ユンとシオウがバルセロナを訪れたのも、ネイサンに呼び出されたからで、その目的は、説教である。
 説教の内容は、毎度同じといえば同じなのだが、「手広くやるのもほどほどにしておけ」という皮肉が、「一体、何を企んでいるんだ?」という疑惑に変化してきている様子は、ユンにも分かっている。
 もともと他者の言うことなど聞かないようにできているユンではあるが、無論、その説教も聞く気はない。
 そして、馬鹿げたことに、ネイサンの方でもそのことは充分にわかっている。わかっていて、それでも尚言わずにいられないのだから、これはもはや茶番と呼ぶしかないような状況なのであるが、茶番は茶番でそれなりの意味も効果もなくはない、というのが、ユンとシオウの間で一致した意見である。だから、こうして、はるばるイベリア半島にまでやってきた二人、なのであるが。
「ネイサン氏、今ごろ、俺たちがいなくなったことに気づいてるかな」
 再びおかしそうにシオウがつぶやく。
 ネイサンは、サッカー狂である。本人が豪語するところによると、「テレビでサッカーの試合を見ているときに、隣家が火事になっても、試合が終わるまで私は決して逃げないだろう」という程度の。
 どうせこなさなければならない茶番なら、できるだけ短い方がいい……これも、ユンとシオウの間で一致した意見であった。
 そこで考え出された作戦が、ネイサンをスタジアムへ誘導し、彼が試合に夢中になる頃合いを見計らって静かに退散する、というもので、そのこと自体は、シオウの言うとおり「うまくいった」。
 が。
「ネイサンは、試合に夢中で俺たちがいなくなったことにも気づいてないだろうが……」
 ユンはまずそう言い、次いで左の人差し指で自分の右肩をつつく仕草をしてみせた。これは、後方を見ろ、ということである。シオウは、すぐに仕草の意味を悟り、ユンの方に顔を向けるふりをして素早く後方を確認した。
 先述したごとく、スタジアムでは、まだ試合が続いている。なので周辺に人気はなく、ユンとシオウの他、十メートル程後ろを歩いている男以外猫の子一匹いない状況である。
 その十メートル程後ろを歩いている男が、シオウが首を動かした瞬間、ふいっと顔をそむける仕草をした。
「……だが、ネイサンの友達は、サッカーには興味がないらしい」
 と前方を見たままユンが付け足す。シオウは振り返りたくなるのを、こらえつつ、
「ネイサンが俺たちに尾行をつけてるって言うのか?」
 と、信じられないことを隠そうともせぬ声音で言う。
 シオウにとって、ネイサンは直属の上司ではない。
 シオウの正式な立ち位置は、『ユンの』組織の一員であって、『ネイサンが首脳の一人である』『ユンが属する』組織は、基本的に別物であるからだ。
 そんなわけで、シオウには、ネイサンという男の計算や目論見は、やや読みにくい。無論、ユンとネイサンの関係が、昔ほどうまくいっていないことは把握しているが、それでも尾行をつけられて様子を探られるほどではない、という認識である。
 ところで、ユンの方でも『尾行してくる男』の正体については、判断をつけかねているらしい。
「さあな。……けど、あいつが、スタジアムの中から俺たちについてきたのは確かだ。そうなると、ネイサン以外に俺たちに用があるやつの心当たりがない。
 ……そうは言っても、俺にも、まだ、ネイサンが俺を殺したくなるようなことをした覚えは、ないんだが……」
「……『まだ』……?」
 ユンという大船に乗った以上沈むときも一緒だと覚悟を決めているが、それがなるべく沈まないようにするのが自分に課せられた使命であると思っているシオウにとって、それはなかなか聞き捨てならない言い草であったのだが、ともかく、いま、緊急に対処すべきは、スタジアムの中から自分たちを尾行してきたらしい謎の男の件である。
「どうする?」
 とりあえず、ユンの「まだ」に関しては、いったん忘れることにしたシオウが、そう問うと、ユンはちょっと上空を見上げて考える時間を作った後、
「……とりあえず、凪に土産でも買ってやろう」
 と言い、ショップのある方向に向かって急に踵を返したので、尾行している男とともにシオウも一瞬その場でたたらを踏まねばならなかった。
「何がいいかな」
 スタジアム併設のショップに入ると、ユンはきょろきょろと店内を見回した。店内には『カンプ・ノウ』をホームとするチームの公式グッズが所狭しと並べられているが、残念ながらユンには何が何やらさっぱりわからなかった。
「けど、凪もほんとに変わってるよな。他人がボールを蹴るのを見て、何が楽しいんだろう」
 さっぱりわからないものたちを眺めつつ、ユンが小さく首をかしげる横で、シオウは自分でもつじつまはよくわからないが今度凪に会う時はできるだけ優しく接してやらねばならないという義務感に駆られた。
 凪。
 凪が教師をやめ、私立探偵になると決まったのは上海での大騒動(『上海レクイエム』参照)の後である。これは、ユンとシオウ、無論、凪本人と、ショージやワンロンといった人々も交えての話し合いの結果である。これは要するに、非公式ながら(もっともユンたちの世界に『公式』などという観念は、あってなかきがごときものであるが)、、凪が『ユンの』組織に入ったということである。もっとも厳密にいえば、凪という私立探偵は、あくまでも独立した一機関ではあるのだが、でも、それは結局のところ、形ばかりの問題でしかないのは明らかだ。シオウは、その決断について、まだ複雑な感情を抱き続けている。
 それはともかく、十分ほど店内をうろついた後、店員に勧められるままに『一番人気のレプリカユニフォーム』を購入して外に出ると、二人を尾行しているらしい男は、店の真正面で待っていた。
 店の出入り口をにらむような格好で立ちつくしていた男は、二人が出てくると、何か迷うような顔をしつつ、それでも意を決したように一歩を踏み出した。
 どうやら話しかけてくるつもりらしい。
 ユンとシオウは同時にそのことに気づき、気づいた瞬間すばやく互いに視線をかわすと、あっという間もなく、ぱっと二手に分かれて走り出した。
 ユンは右に、シオウは左に。
「えっ……、ちょ、ちょっと待って!」
 尾行者は、あわてたような声を出しつつも、とっさにユンを追うことにした様子である。
 ユンはとりあえず、スタジアムの周囲をぐるりと一周することにした。走りながら、周囲に油断なく警戒の目を向け続けるが、尾行者の仲間らしき存在はないようだった。
 一方シオウは尾行者がユンを追うことを選択したのを見てとると、さっと踵を返し、適当なもの陰に身をひそめ、ユンが戻ってくるのを待った。
 追いかけっこは、そう長くは続かなかった。
 シオウがそれほど待つことなく、スタジアム周りを一周してきたユンが眼前を走り抜けた。それを合図にシオウは、もの陰から踊りだす。
「わっ?」
 突然目の前にシオウが現れたので、尾行者は、おどろきの声をあげつつ、急ブレーキを踏むようにして立ち止まった。
 シオウは素早く尾行者の腕をつかむと、つかんだ腕をねじるようにして相手の背後に回った。尾行者は苦痛の声をあげつつ、上体を前にのめらせる。
「何だ、お前は?」
 ユンは尾行者の前に立ち、その後頭部を見おろしつつ、そう尋ねた。ちなみにユンもシオウも、スペイン語はちょっと得意である。
 尾行者は走ったことと、取り押さえられた体勢の苦痛に肩で息をしつつも、首だけ動かしてユンを見上げ、
「俺は、アレハンドロ」
 と名乗った。次いで、
「……実は、君たちと友達になりたいと思って後をつけてたんだ。話だけでも聞いてくれないか」
 などと言う。
 思いがけない申し出に、ユンはシオウと一瞬顔を見合わせた。
 アレハンドロは、存外真摯なまなざしで、真っすぐにユンを見つめている。
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ふじきよ なお

Author:ふじきよ なお
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